芸術家の恋愛模様を名画とともに楽しんで! 恋愛美術図録

酒と薬と愛に溺れたモディリアーニの魅力

 アメデオ・クレメンテ・モディリアーニはイタリアの画家、彫刻家です。エジプトやアフリカなどの原始美術と故郷イタリアに息衝くシエナ派など古典芸術の厳格性を融合させ、縦に引き伸ばされたかのような面長の顔とアーモンド形の瞳による独自の人物画を確立させました。類稀な造形性と抒情的で画家自身と同調するかのような独特な人物表現は以降の現代芸術に多大な影響を与えました。

情熱的で気まぐれな詩人、ベアトリスとの同棲生活

 1909年から1914年まで彫刻家ブランクーシの影響を受け、彫刻家として精力的に活動。しかし、重労働であることから病弱であったモディリアーニは体力的な面で彫刻活動を断念します。
 そして1914年にイギリス出身の詩人である、ベアトリス・ヘースティングスとカフェで出会います。ベアトリスは、容姿、性格、職業などあらゆる点でジャンヌとは正反対の人物でした。モディリアーニよりも年上のベアトリスは独立心旺盛な成熟した女性で、経験豊富、気まぐれ態度をとることも多かったそう。酒、特にウイスキーに耽溺し、大麻に耽り、激情が飛び交う波乱に満ちた日々が続きます。しかし、付き合っている間ベアトリスをモデルにして14点の油彩画やデッサン数点などが描かれ、ベアトリスへの深い愛情を感じます。

愛ゆえに死を選ぶ…!? 愛する人を追って身をなげる妻

Nurture By rickyqi Jeanne Heburtene (1919) By rjhuttondfw

 1917年の謝肉祭の日にジャンヌ・エビュテルヌに出会います。ジャンヌ・エビュテルヌはアカデミー・コラロッシで絵の勉強をする画学生で、きちんとした家庭で育てられ、心優しく、慎ましく、そして美しい女性でした。当時、モディリアーニは33歳、ジャンヌは19歳でしたが、出会ってすぐに両親の猛反対を押し切って同棲し、結婚します。しかし、結婚しても酒と麻薬に溺れた生活はいっこうに改めることはありませんでした。そんな生活の中でもジャンヌをモデルに肖像画や裸婦像を描き続けます。
晩年期にようやく画家として評価され始めたものの、結核性髄膜炎により36歳で夭折。

そして翌未明、ジャンヌは一人娘を残し、お腹にもう一人の子を身籠もったままモディリアーニの待つ天空に向かって、五階の窓から身を投げたのです。二人はペール・ラシェーズ墓地の一画で、永遠の眠りについてます。

モディリアーニの作品は死後、急速に値段が高騰し、10年経過した1930年に開催されたヴェ ネツィア・ビエンナーレでの回顧展で、ようやく20世紀を代表する画家としての正当な評価を受けることになったのです。

  モディリアーニがジャンヌの瞳を描かなかったのは「人物の普遍化、永遠化」といった絵画論的なことだけでなく、ジャンヌを幸せにしてあげられないといった気持ちが、瞳のない青い目を描くことしかできなかったのかも知れません。「私が描く人物は見ることができる。たとえ瞳をつけてやらなくても…」という言葉を残していますが、はたしてホントにそうだったのでしょうか。

Text/AM編集部