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  • 2012.07.23

セレブたちの恋愛遍歴 第4回:『女優からモナコ王妃へ・・・気品ある美しさを振りまいたグレース・ケリー』

第4回:『女優からモナコ王妃へ・・・気品ある美しさを振りまいたグレース・ケリー』


grace kelly

 セクシーでかわいらしいマリリン・モンローとはまるで正反対ともいえるような、ひっそりと優雅で、気品ある美しさを持つ女優、グレース・ケリー。彼女はマリリンと同時代に活躍しました。そして、女優から“モナコ王妃”へという傍目には華やかなシンデレラストーリーで世界中を沸かせたのです。今回はそんな彼女の恋愛遍歴をご紹介いたします。

父親の態度に傷つく幼少時代

 1929年、グレースは、建築業を営みボート競技ではオリンピックで金メダルにも輝いたことのある父親とモデル出身の母親という、裕福な家庭に生まれました。3人姉妹の真ん中であるグレースは幼少時代はおとなしく、ほかの兄弟にくらべてスポーツも不得意で、決して快活な少女ではなかったそうです。そして父親はなぜか姉ばかりかわいがり、グレースのことをほめることはほとんどありませんでした。そんな父親の態度に傷つきながらも、ピアノやダンスが好きだった彼女は、後に演技に興味を持ち、女優になるという夢を抱きます。高校を卒業した後は、家族の反対を押し切ってニューヨークに移住し、アメリカ舞台芸術アカデミーへと入学します。

次々と共演者に恋するグレースの悲しき心中

 その後、グレースはモデルのアルバイトをしながら演技学校に通い続け、1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューを果たします。舞台女優を目指していた彼女でしたが、舞台出演中にハリウッドから声がかかり、22歳の頃『Fourteen Hours』で映画デビュー。これをきっかけに彼女はスタンリー・クレイマー監督の映画『真昼の決闘』のヒロインに抜擢され、そのクール・ビューティがアルフレッド・ヒチコック監督の目にもとまり、彼のお気に入り女優として『ダイヤルMを廻せ』『裏窓』と次々に主演を務めるのです。そして、それと同時に彼女は少し異常では? と噂されるほど共演者と次々に恋におちます。ゲイリー・クーパーにレイ・ミランド、ウィリアム・ホールデン、ジャン=ピエール・オーモンなどなど。これは、父親の冷淡な態度とその癖妙に異性関係にはうるさかったことの反動といわれています。おそらく、彼女は父親が満たしてくれなかった愛の渇きを、男性たちに求めたのではないでしょうか。

ついにアカデミー賞主演女優賞獲得! その時父親は・・・

 グレースは、恋仲になった彼らの何人かを結婚相手として父親に紹介したそうです。しかし、父親は彼らをほとんど認めず、相手にもしなかったそう。そんな中、ついに彼女は1955年にジョージ・シートン監督の『喝采』で、難役といわれた精神不安定な人妻役を演じきりアカデミー主演女優賞を獲得します。ところが、父親はそれでもマスコミに向かって「姉のペギーのほうがもっといい女優になれたにちがいない。グレースが女優なのは信じられない」などと発言したのです。しかし、それでも彼女は父親の承認を求めて努力し、必死だったといいます。それ故、彼女は多くの名作を現代に残しているのかもしれません。

女優からモナコ王妃へ

grace kelly By ___carmendy
©grace kelly By ___carmendy

 そして、1955年彼女は自身の運命を変える人に出会います。それがモナコ王子のレーニエ公です。ふたりは、カンヌ国際映画祭で行われた雑誌のフォトセッションで出会います。その場で意気投合した彼らは、お互いにすぐ恋に落ちてしまったそうです。それぞれ帰国した後も手紙を交わし、遠距離恋愛でふたりは愛を温めました。そして、同年暮れにレーニエ公はグレースにプロポーズし、ふたりは結婚します。ハリウッド女優がモナコ王妃へとなるシンデレラストーリーが完成した瞬間でした。挙式は1956年の4月に行われ、ヨーロッパ全土で中継されるなど、世界はふたりのロマンスに沸き立ったのです。 しかし、これにはモナコ公国の財政難も大きく関係していて、女優を王妃として迎えればモナコの国力もあがるとし、海運王オナシスが仕向けたことでもあるそう。

レーニエ公と一男二女の子供たちの愛

 グレース自身は結婚後も女優を続けたかったそうですが、レーニエ公の反対やモナコ国民の目もあり、引退を決意。しかし、フランス語を満足にしゃべれないグレースは王室のしきたりや文化に戸惑ってしまいます。それでも愛する夫との間に一男二女を設け、乳母には預けずできる限り自身の手で面倒をみて、哺乳瓶もあまり使わずに母乳で育てることを選んだのだとか。結婚後もハリウッドからのオファーは鳴り止みませんでしたが、彼女が家庭に入った後に映画界に戻ることはありませんでした。
 そして、82年1月、彼女は自身が運転中に脳梗塞を起こし、カーブに直進して崖から滑り落ちてしまいます。すぐに病院に運ばれましたが、彼女はそのまま意識を取り戻さずに53歳の若さで帰らぬ人に。レーニエ公は彼女の葬式には両脇を子供たちに抱えられてやっと出席しました。そしてショックのあまり、亡くなる直前に密かに撮られていた短編映画のフィルムも封印してしまったそうです。
 美貌・お金・名声、すべてを持っているような彼女にひとつだけ足らなかったものは、“愛”でした。彼女はそれをレーニエ公、子供たちから受け取ることができたのではないでしょうか。愛を手に入れたグレースのお墓には、現在も花が絶えることはないそうです。

Text/AM編集部

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