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  • 2013.07.12

最期にひと目会いたい!過去に愛した人『熱波』

 普段、「ここ、楽園だわー」って感じることはあるでしょうか。
例を挙げるとすると、絶好のロケーションの露天風呂、豪華食事付きのセレブなパーティー、あと、ハワイとか。
この世にはいわゆる『楽園』って呼ばれるものが数多く存在する。誰もが週末や連休にはそこで癒されに行く。
ていうか今すぐにでも行きたい。

熱波 ミゲル・ゴメス テレサ・マドゥルガ ラウラ・ソヴェラル アナ・モレイラ カルロト・コッタ エスパース・サロウ
©O SOM E A FÚRIA, KOMPLIZEN FILM, GULLANE, SHELLAC SUD 2012

 ただ、この映画で描かれる『楽園』はちょっと違う。
そこは草木が生い茂り、虫と動物が溢れる野原。物は少なく、娯楽に飢えている。挙げ句の果てに、植民地。
これのどこが楽園なんだ、って言うでしょう。
だけど、愛し合う二人の耳はそんな野次も聞き入れない。ただ、二人の言葉だけが存在し、二人の唇と唇が合わさりあうだけで、そこが『楽園』になるのだから。
世界観すら変えてしまうなんて、まったく恋愛とは恐ろしいものです。

“ポルトガルで今最も注目すべき監督”と才能を認められ、本作で第62回ベルリン国際映画祭でアルフレッドバウアー賞と国際批評家連盟賞を受賞したミゲル・ゴメス監督。
大胆な二部構成で、現代の空虚感と過去の情熱的な記憶を描いています。
現代パートにはテレーザ・マドルーガとラウラ・ソヴェラルといったベテラン、過去パートにはアナ・モレイラとカルロト・コッタというポルトガルの若い才能を起用し、モノクロームながらも生々しい息遣いと草木と汗と唾液にまみれた恋愛を、時にロマンチックに、時にエロティックに切り取っています。

ストーリー

 第一部『楽園の喪失』
ピラール(テレーザ・マドルーガ)は定年後、ストレスに悩まされている。その一つとして、隣人の老婆・アウロラ(ラウラ・ソヴェラル)の世話がある。
常に短気で、突発的に行動しがちの80代のアウロラ。お金ができればカジノに向かい、会ってくれない娘の話を延々としてくる。
ある日、病に倒れたアウロラはピラールとメイドにお願いをする。長く生きられないと悟った彼女は、消息不明のベントゥーラという男に会いたいと言い出す。
願いを叶えるためにベントゥーラを探し、見つけ出したピラールだが……。

 第二部『楽園』
若きアウロラの父親は、娘を連れてポルトガルからアフリカにやって来た。
父親は植民地で事業を起こそうとしていたが脳卒中で倒れ、母親はすでに他界している。
一人残ってしまったアウロラは大学の卒業パーティーで夫と出会って結婚し、幸せな日々を送っていた。
しかし、ベントゥーラ(カルロト・コッタ)という男が現れる。アウロラは抑え切れない情熱を彼にぶつけ、互いに愛し合う。
その禁断の恋は、やがて逃避行へとむかうが――。


どうして、現在が『楽園の喪失』なのか

熱波 ミゲル・ゴメス テレサ・マドゥルガ ラウラ・ソヴェラル アナ・モレイラ カルロト・コッタ エスパース・サロウ
©O SOM E A FÚRIA, KOMPLIZEN FILM, GULLANE, SHELLAC SUD 2012

 物に溢れて、欲しいものだって何とかすれば大体が手に入る。情報は得ようとせずとも入って来るし、行こうと思えばどこへでも行ける。
こんな現代が、どうして『楽園』を失ってしまったのでしょう。

 この映画は「第一部」が35mmフィルムで、「第二部」が16mmフィルムで撮影されている。
「第二部」からは明らかに映像が荒く、まるで記憶の断片のように淡い。ただ、その荒さが二人の情熱を際立たせ、淡さが切なさを盛り立てる。
でも、昔の写真を眺めるような懐かしさとは少し違い、むしろ「第二部」のほうが現代なんじゃないかと思わせる新鮮さに溢れている。

 それは、アウロラとベントゥーラの若さと熱さが原因だろう。
男女が愛し合うという古さを一切感じさせないトレンディなドラマのせいで、まるで「第一部」と「第二部」との時間軸が歪む。だけど、それは意図しているように思う。
この二人にとって「第二部」=『楽園』こそが行き着きたい場所であり、彷徨い求めた“死に場所”だったに違いないのだから。

 その『楽園』には何もない。
自然の風景だけがあり、時に死と隣り合わせの危険の場所でも、ベントゥーラさえいれば、アウロラさえいれば、お互いにとって『楽園』になってしまう。
しかし、お互い一人で生きている「現在」にその幸せはない。完全に失ってしまっている。
結局過去の話でしかないラブストーリーが残酷にすら思えてくるのです。

言葉を一切排除した、過去の『楽園』とは

熱波 ミゲル・ゴメス テレサ・マドゥルガ ラウラ・ソヴェラル アナ・モレイラ カルロト・コッタ エスパース・サロウ
©O SOM E A FÚRIA, KOMPLIZEN FILM, GULLANE, SHELLAC SUD 2012

 「第二部」の『楽園』で描かれる過去には、セリフが一切無い。まるでサイレント映画のようだけど、完全に静寂が包むわけではない。
「現在」のベントゥーラのナレーションが物語を運ばせて、虫の鳴き声、水が滴り落ちる音、木々のざわめきなどの自然の音が響いている。
まるで言葉が不必要とでも言わんばかりに、画だけで物語はすすみ、すべてはアウロラとベントゥーラの行動で示されるのです。

 記憶はいつだって、曖昧の中に現在の熱情を見つけ出す。
これはアウロラの回想と見せかけて、ベントゥーラの記憶を辿る映像なのだから。
ただ、二人が書き綴る手紙は互いのセリフがナレーションとしてひたすら流れ、アフリカの広大な大地を背景に優しく語り掛けてくる。

「彼女といる時、未来など曖昧で無意味に思えた」

 彼が語る未来は、「第一部」で描かれたように『楽園』を喪失してしまっている。
彼の言う通り、未来はぼんやりと“生”を失っていく。
激しく愛し合って“生”を燃やし続ける過去こそが、説明過多で物に溢れた現代よりも情報量が詰まっている。
その説得力を「第二部」で体感したとき、観客は本当の意味の『楽園』を知ってしまう。


『楽園』って一体何なんだろう。どこにあるんだろう

 死ぬまでずっと、追い求め続けるかもしれない。『楽園』に着地できるかどうかも分からない。
人生がハッピーエンドとは限らない。どれほど楽しく生きても最期は一人。
幸せな最後は映画の中だけに存在し、幸せな最期はありえないのだ。

 この映画はそんな現実を叩き付けるとともに、「第二部」に生きる私たちの、今すぐ傍にある愛の大切さを思いしらせてくれる。
暑い季節の到来とともに、ポルトガルからのこの熱波を肌で感じてもらいたい。
その波で味わうのは纏わり付く鬱陶しい汗ではなく、“手に汗握る”情熱的なラブストーリーなのです。

 


7月13日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

監督・脚本:ミゲル・ゴメス
キャスト:テレサ・マドゥルガ、ラウラ・ソヴェラル、アナ・モレイラ、カルロト・コッタ
配給:エスパース・サロウ
原題:Tabu/2012年/ポルトガル・ドイツ・ブラジル・フランス合作映画/118分
URL:映画『熱波』公式サイト


Text/たけうちんぐ


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たけうちんぐ
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