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  • 2016.11.10

ヒロシマではなく「広島」を描く。生涯に一度出会えるかどうかの傑作『この世界の片隅に』

昭和19年、広島から呉に嫁ぐことになったすずさん。戸惑いながらも新しい生活に馴染んでいく中で、その日常が激しい空襲にさらされていく――こうの史代原作×片渕須直監督×のん主演で描く、今も昔も変わらない“普通”に過ごす日常の愛おしさ

たけうちんぐ 映画 この世界の片隅に こうの史代 片淵須直 のん 能年玲奈 コトリンゴ
©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

 映画がなくても暮らしていける。そんなことは分かっている。それが衣食住にも生死にも関わらないことなんて、分かっている。
しかし、ここまで映画に心を丸裸にされるなんて。生活が刺激される。スクリーンの外の景色を変えてくれる。映画が在り続ける理由が、それが必要とされる意味が、全部ここに詰まっているのではないか。

 大切なものを失ってしまう、昭和に生きる一人の女性。その喜怒哀楽が柔らかくも力強く封じ込まれる。観終わってからずっとこの作品に触れた温度が、そこで受けた衝撃が、一つも身体から抜けないでいる。目を腫らし、いくら涙を拭っても、感情を外に放ち切ることはできない。
ここが世界のどこの片隅でもあるかのように、時代と場所を問わず降り注ぐ“日常”が、こんなにも愛おしく感じられるなんて。

 『長い道』『夕凪の街 桜の国』などで知られるこうの史代の原作を、『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督が劇場アニメ化。本作はクラウドファンディングで制作資金を募り、わずか8日間で目標金額の2000万円に達成。長い歳月をかけて、およそ3000人もの支援者たちが見守る中で今年ついに完成した。
そこに息吹をもたらす主演・のん(本名・能年玲奈)が、コメディエンヌとしての才能を十二分に発揮する。今もなお熱烈なファンを残すNHK朝ドラ『あまちゃん』から3年後、また彼女にとって新たな代表作が誕生した。本作で女優業に本格的に復帰するのんと、彼女が演じる主人公・すずさんの“再生”の物語が重なり合って見えるのも本作の大きな魅力だ。

「どうかこの日常を壊さないでくれ」

たけうちんぐ 映画 この世界の片隅に こうの史代 片淵須直 のん 能年玲奈 コトリンゴ
©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

 浦野家から北條家へ。苗字が変わって遠くの町で暮らす。お嫁に行く18歳のすずさんが子どもと大人の狭間で戸惑いながらも、新しい生活に馴染んでいく様がコミカルに描かれる。

 とにかく笑いに溢れている。出てくる人たちが全員かわいい。
本作はひとえに「戦災モノ」とは言い表せない。絵を描くのが大好きで「うちはようボーッとしとる子じゃあ言われてとって」とつぶやくすずさんを筆頭に、真面目で誠実な一方でヤキモチ焼きな夫・周作、普段は厳しいけどちょっぴり寂しがり屋な義姉・径子、やたら軍艦に詳しくていつもニコニコしている径子の娘・晴美といった、賑やかな登場人物たちで日々の暮らしを描くことに重きを置いている。

 すずさんが道に迷って遊郭で遊女・リンと出会ったり、幼馴染の水兵・水原と再会することで複雑な想いを寄せたり。様々な人や物と触れ合うことで、片隅に生きるすずさんの世界が開けていく。
貧しくても工夫を重ねて、節約とユーモアで生き抜く。拾い集めた野草を楽器を奏でるように調理したり、節米料理“楠公飯”を実践してみたり。
柔らかくておっとりしたトーンで、決して暗くならずに明るく過ごそうとする日々が愛おしくてたまらない。

 「どうかこの日常を壊さないでくれ」
登場人物に愛情を寄せることで、誰もがそう願ってしまうだろう。彼女たちの泣き顔なんて見たくない。でも、我々は知っている。昭和20年の夏、広島で何が起きるかを。

 すずさんたちが暮らす呉に戦火の手が忍び寄り、空襲警報が鳴り続ける。平穏な日々を壊す爆撃音。不安な手を握りしめるもう一つの手。
“普通”の日常を愛おしく思うことで、平和に過ごす日々のありがたみを知る。だからといって「可哀想」と思わせる物語ではない。憐れみの目で見ることを許さない。描かれるのはヒロシマではなくて、広島だ。スクリーンの中の人たちと一緒にその地を歩む。現代から逆算された町ではなく、すずさんたちとリアルタイムで生きる町なのだ。あくまで舞台は“片隅”であり、それが特別な町として映らない。
ボーッとしているすずさんに、やがて哀しみと怒りをもたらす出来事が訪れる。そこで、彼女が描く絵が本作に大きな効果をもたらしている。

たしかな時代考証で描く写生画と、豊かな色彩で描く想像画

たけうちんぐ 映画 この世界の片隅に こうの史代 片淵須直 のん 能年玲奈 コトリンゴ
©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

 すずさんが描く絵には写生画と想像画の二つがある。故郷である広島の街を思い出に留めるために、広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)を写生する。妹・すみちゃんを楽しませるために、厳しくて恐い兄・要一が主人公のギャグマンガ『鬼イチャン』を連載する。また、晴美のためには防空壕の恐怖を和らげようと似顔絵を描いてあげる。

 在るものを正確に記録することと、目に見えないものを想像すること。この二つが作品自体を表しているかのようだ。制作に6年もの歳月をかけて、取材のために30回以上広島に足を運んだという、片渕監督の「ここまで調べた」と言い切れる執念の時代考証。その写生によってすずさんが実際に生きているような感覚に陥る。そこで彼女たちの暮らしを生々しく想像することができるのだ。

 “イマジン”だけでは世界を変えられない。手を動かして描くことによって、足を走らせることによって、その片隅が色とりどりの日々を見せる。
「昭和20年の広島」と聞くと悲惨な物語を思い浮かべるかもしれない。だが、そこは涙だけではなかった。すずさんの絵の具はカラフルで、想像する力さえあれば、いかようにも世界を塗りたくることができる。

 タイトルが示す“この世界”は、今我々が生きる世界に繋がっている。戦争に限らず、災害や事故、病気でも、生きていると必ず大切なものを失う。それでも明日はくるし、明後日もくる。そこへ向かうすずさんの思い描く色彩豊かな想像が、その片隅で踏ん張るたくましさが、71年もの時を越えて現代に生きる我々の心を震わせる。
すずさんの家族以外にも、知多さんや刈谷さんなどご近所の主婦たちが失ったものを補い合い、足りないところを助け合う。想像するだけでなく、日々の“再生”を人と人との温もりで描こうとする。
絶望の淵に立たされても暮らしは続いていく。そこにはヒーローもヒロインもいない。誰も彼もが正しくも悪くも映らない。すずさんが誰の人生にも降り注ぐ光と闇をかき集めて、のほほんとした笑顔で消化させてくれる。それは今までに見たことがないくらいの鮮やかな色彩で、現実の“この世界”をも美しく思い描いてくれるかのようだ。

 ここまで、すず“さん”と敬称を付けた。それは彼女が実際に生きていて、91歳のボーッとしているおばあちゃんとして今も広島・呉を歩いているような気がするからだ。もはや場所を問わず、そこらへんを歩いている高齢者の方に「よう生きてくれとった!」となぜか広島弁で声をかけてしまい、挙げ句の果てに荷物を持ってあげたくなる。
緻密な写生とも呼べるディテールの積み重ねが、実写以上のリアリティと血の通った人物を生み出す。それを観る者が彼女たちの未来を想像することで明日、明後日、明々後日へと現実の世界に繋げていく。

 過去を描いた作品なのに、どこか未来を感じさせる。作品が作品として在り続ける意味が、すべてここにある。なぜなら、いつか当時のことを語り継ぐ人がいなくなっても、すずさんが描いた絵として、人々の記憶の器として、この作品はこの先何十年も残り続けるからだ。そこにたしかに生きていた人々の喜びを共有し、怒りを想像し、哀しみを知り、楽しさを得る。歴史的資料でもあり、娯楽映画でもある。これこそ「作品」の本質だろう。
 
 どうか触れてもらいたい。これは一生涯に一度の、人生の宝物のような作品に出会える機会なのだから。

ストーリー

 広島・江波に住む18歳の浦野すず(声:のん)に、突然縁談が持ちかけられる。良いか悪いか判断がつかないまま、軍港の街・呉で暮らす海軍勤務の文官・北條周作(声:細谷佳正)のもとへと嫁ぎ、新しい生活が始まる。
周作の父・円太郎(声:牛山茂)と母・サン(声:新谷真弓)は優しいが、義姉の径子(声:尾身美詞)は厳しくてキツく当たってくる。その娘・晴美(声:稲葉菜月)はおっとりしてかわいらしく、すずは晴美に巾着袋を作ってあげることで友だちのように仲良くなる。
戦争が激化する中で配給物資が減っていくが、すずは明るさを失わずに呉での生活に馴染み、暮らし続ける。やがて呉は空を埋め尽くすほどの数の艦載機の空襲にさらされ、すずたちが大切にしていたものが失われていく――。

11月12日(土)、テアトル新宿ほか全国ロードショー

監督・脚本:片渕須直
原作:こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社)
音楽:コトリンゴ
キャスト:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外(特別出演)
配給:東京テアトル
2016年/日本映画/126分
URL:公式サイト
Text/たけうちんぐ

次回は<日本の女の子にとって転換期になるような作品を『溺れるナイフ』山戸結希監督インタビュー>です。
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ライタープロフィール

たけうちんぐ
ライター/映像作家

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