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  • 2016.05.04

次の彼氏と出会ったら、前の人のことを思い出してはいけない?/はくる相談室(5)

別れは必ずやってくる…といいますが、愛していた人との別れ、いわゆる失恋は心に大きなダメージを残すことが多々あります。この痛みとアナタはどのように付き合っていますか?今回は、別れた元彼のことが忘れられずに涙してしまうまで考え込んでしまっている方からの相談で「昔の恋との付き合い方」についてはくるさんのアドバイスをいただきます。

【相談】

 私には今彼氏がいて、もちろん彼氏のことが大好きです。
ただ、正直な話をしてしまうと、前に付き合っていた彼氏のことを思い出して涙してしまうこともあります。

 それは思い出として悲しくなるだけなのですが、やはり恋愛が終わるときには決算をした方が良いのでしょうか?

(けむりさん・21歳)

思い出して泣くことは後ろめたいことではない

はくる 大相談への小さな声
PHOTO/はくる

 過去の恋の決算というのは、自分で決意したから出来るというものではないので難しいですよね。
この記事では、意味合いを広げてわかりやすくするために、決算を「清算」と言い換えて話を進めていきたいと思います。

 清算にも様々な解釈が存在するかと思いますが、わたしは「清算する」ということと、「キッパリ忘れる」ということは、別のものだと考えています。
そして、相談者様がここで言う清算(決算)が、「今すぐキッパリ忘れるべきか?」という意味で使われているのだとしたら、そうするべきだとは限らないと思います。

   わたしの「清算」に対する解釈は、過去を過去として許容することです。
「現在の恋人に失礼ではないか」と感じてしまう気持ちはわかります。
しかし、過去の交際相手との間にまるで愛の関与が一切なかったかのように、または、過去の恋愛が今現在の自分とは切り離されたものであるかのように修整してしまう必要はないのです。

 昔の恋愛経験によって学んだこと、または失ったことによって今のあなたがあるはずです。
それは現在の恋愛に繋がっているはずですし、恋愛だけでなく人間性の土台の一部として、今でも息づいていると思うのです。

 そう考えると、与え合った影響、そして彼氏の存在すらあやふやなものにすり替えてしまうのは、折り合いの付けかたとして間違っているのではないでしょうか。
 今思い出しても泣いてしまうほど真摯に思っていたことは、正しいことのはずなのに、それをないがしろにしてしまうほうがよっぽど悲しいことだと思います。

 過去の恋愛を、過ちや寂しさも含め胸の奥で抱きかかえたままでいた方が、わたしは良いと思っています。
そうすれば、あなたの一部を作った過去の恋人、それによって得た自分自身を構成する一要素、そして現在の恋人とのこの先の恋愛のすべてを尊く思えるのではないでしょうか。

 泣かないようにと努力するよりも、泣いてしまうことは決して百パーセント後ろめたいことではないのだと考えてみてください。

 過去を肯定し認めること、そしてその姿勢自体が正しい折り合いのつけかたなのではないかと思います。

愛した人の「不在」に向き合う映画『トニー滝谷』

 ここで市川準監督の『トニー滝谷』(原作:村上春樹)という映画を紹介したいと思います。
主人公であるトニー滝谷は、長い孤独の期間を経て、服を美しく着こなす女性と結婚します。
しかしその女性は事故で命を落とし、家には彼女の大量の衣服が残されました。
そして彼は、妻がいなくなったことに実感が湧いたら慣れていくだろう、それを理解するためには時間が必要だと思い、助手として雇った女性に勤務中は妻の服を着てそばにいることを要求します。

*『トニー滝谷』

 この映画には、形を変えて薄らいでいく感情や、不在とチューニングを合わせようとする行為、すなわち清算について描写されているシーンが多いです。

 彼は結果的に記憶を感情の外へと押しやろうとしてしまうのですが、わたしはこの作品の主人公が、彼女の不在に切実に向き合おうとする姿勢に胸を打たれました。

 埋めることのできない生活の中の空洞、胸の中の喪失感と共に生きていくということが一体どういうことなのか、それを考えるきっかけを与えてくれた映画です。
相談者様も、この映画を見られることで、自分なりの折り合いの付けかたや、どうしようもないことに対する寂しさへの考察が深まるのではないでしょうか。

かつての彼氏を忘れられないことは、未練ではない

 元彼のことを忘れられないのも、それを今の恋人に申し訳なく思うのも、それはあなたの情の深さであり、優しさです。
わたしはそれを美点だと感じます。

 恋人と別れ、その人が生活からフェードアウトした途端に過去をぞんざいに扱ったり、自分とは関係のなかったことであるかのように思いはじめてしまう人はとても多いです。
しかしその中で、今でも泣いてしまうということは、愛を知っている証拠なのかもしれません。
時間が経ってもひとりの人間に対して抱いた思いや、費やした時間のことを、確固たる人生の一部として大切にしているのだという印象を受けます。
だとすればそれは素晴らしいことだと思います。

 ここでエリザベス宮地さんの撮影した『バラ色の日々』という曲のMVを紹介したいと思います。

 MOROHAというアーティストによるこの楽曲に、宮地さんが「バラ色の日々でどうしてもMVつくりたいんです。ギャラいらないんで」と申し出たことから製作がはじまり、五ヶ月に及ぶ編集を経て公開されたそうです(MOROHA AFRO氏twitter 2016/04/13より)。
終わってしまった恋にまつわる思いを歌った歌詞に合わせ、宮地さんが過去に交際していた女の子の、プライベートの映像と写真を十分弱に及び羅列したこのノンフィクションの映像は、MVという枠を超えて観る側の心の琴線を容赦なく揺さぶります。

*『バラ色の日々』MV

 この映像について宮地さんは、「映像作家として生殺しにしたくはなかった」と語っています。
過去の恋に再び命を与えるということの葛藤はきっと想像を絶するものなのではないでしょうか。
わたしはこの映像を見て、何かを作っている人ではなくても、過去の日々やそれに付随する記憶のやわらかい部分に傍線を引き続けること、そして傍線を引いた部分を大切にするということは、回避するべきではない尊い行為だと強く感じました。

 この作品を見ることで、もう一度ご自身の過去の恋のことを見つめ直すきっかけになれば、思い出が何か別の意味合いを持って色付くのではないかと思います。

「元彼を愛していた(そして今でも思い出の中でかけがえのない存在である)」ことと、「現在の恋人を愛している」というふたつのトピックは、同居していても問題ありません。

 思い出してしまう・忘れられないということは、未練やひきずっているということと、必ずしもイコールではないのです。
現在の恋愛が過去の恋愛の上に成り立っているという状態は当然のことであり、それは決して恥ずべきことではありません。

 あなたが過去の恋人・現在の恋人のどちらに対しても、朗らかにひたむきに向き合える日が来ることを願っています。

つづく

TEXT/はくる

ライタープロフィール

はくる
新宿ゴールデン街で働くインターネット十二年生。根暗ポップ。Twitter:@silonica

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