• love
  • 2016.03.18

子供が欲しくない私には母性がないのか/はくる相談室(3)

自分のこどもを欲しいと思えない…30歳を迎えた読者のお悩みに、かつて同じ感情を持ったはくるさんが一緒に考えてくれました。厄介な母性と女性の関係を捉えなおすために父の記憶をたどることで見えてくる愛情のかたちをご覧ください。

   

【相談】
 昔から、子供を好きでも嫌いでもありません。友達が子供を「かわいい」という時、確かにかわいいとは思うけど、それ以上の感情がないです。ですので、自分自身の子供はそこまで欲しくないです。ただ、子供を産むのは本能なんだろうなとも思うので、自分には「母性」がないのかと悩んでしまいます。
 一方で、旦那は子供が欲しいみたいです。「私は絶対に子供はいらない」というような決断ができればいいのですが、そういう風に言い切ることも難しくて…
 はくるさんは子供が欲しいと思ったことがありますか? どういう風に考えれば、心が落ち着くでしょうか?
(30歳/貿易事務)

「わからない」のは想像がつかないから

はくる 大相談への小さな声 出産
PHOTO/はくる

 わたし自身、「子供を持つ」事に対する思いが質問者様ととても似ているので、相談に答えるというよりも、今回は一緒に考えてみようとおもいます。

 わたしはいまでこそ町中で目にする子供にかわいいと言うことができますが、以前は人間から人間が出てくること自体がどうしても気味が悪く、マタニティー写真の類いもグロテスクに思え、もちろん子供が欲しいと思ったことなんてありませんでした。
 では一体それはどうしてなんだろうと考えたときに、わたしの場合、“一人っ子だったから”ということが関係しているのではないかと思います。日常の中に自分より小さな子供、ましてや赤ちゃんがいた経験がないので、一体それがどういう暮らしかが、おおよそ頭ではわかっても、想像がつかないのです。わたしは「想像がつくことは大概なんだってできる」と漠然とした自信の中で思っていますが、逆に誰だってこなしていることでも、想像がつかないことにはどうにも抵抗があります。それはたとえば車の運転だったり、ギターを弾くことだったり、そして妊娠・出産・子育てをしている自分です。

子供との生活に思いを巡らせるための『かなわない』

はくる 大相談への小さな声 出産
植本一子『かなわない』

 質問者様にはぜひ植本一子さんの『かなわない』というエッセイを読んで頂きたいです。この本は、写真家の植本さんがラッパーである夫のECD氏、そして幼い子供ふたりとの暮らしをつづったブログを日記のように収録、書籍化したものです。
 この本の中には、植本さんが母親としての自分と本当の自分、そして理想の家族像との折り合いがつけられず、限界を感じながらも葛藤する姿が赤裸々に書かれています。
 育児に関する全てが他人事に感じることがあると、現役の母親として思い悩んでいるのです。

 文章を一部引用して紹介しようと思います。

 「子どもを切り捨てられない気持ちは、言葉にするのが難しい。自分が産んだ責任と、何より寂しい思いをさせたくないというのが強い。私は未だに母親というものになりきれていない。それも私自身の作った“母親”像だ。でも、どうしたって母親である私は、これからも自分なりの“母親”になろうとしている。」(植本一子『かなわない』タバブックス,2016,p198)

 「結婚したら何か自分が変われると思っていた。子どもを産めば何か変わると思っていた。でも自分の根底にあるものは全く変わらず、結局それに突き動かされて生きている、(中略)無くしてはいけない大事なものがある。それに苦しめられ、それに生かされている。」(同書,p216)

 どうしようもなく弱い部分や、右往左往しているそのただ中の経験までもが書き留められているこの本を読むことで、子供を持つことはもちろん、生活そのものの根底までを改めて考える機会になるのではないかと思います。

 質問者様は「絶対に子供はいらない」ということで悩んでいるわけではなく、そう言い切ることも難しいとおっしゃっているわけですが、一度、子供のいる暮らしを体感できる環境に身を置くのはどうでしょうか。お子様のいる友人宅にお邪魔して、子守りの様子を見物させてもらったり、それが難しければ、「子供連れでの来店歓迎!」と宣伝する飲食店にランチを食べにいくなんていうのも、ちょっとした疑似体験ができるかと思います。
 今の生活の延長線上として子供のいる暮らしについて考えることができれば、想像の範囲が広がるかもしれません。そのときにいよいよ本当にわたしはやっぱり子供はいらないと感じたとしても、それは決して悪いことではないと思います。


いつしか母性を持つようになったわたしの父の話

 先ほどわたしは一人っ子だと記載しましたが、子供を産み育てることの想像がつかない要因はもうひとつあると考えています。わたしの持つ一番古い記憶の頃には既に両親が離婚していて、成人するまで父一人の手で育ったということです。
 小さい子供どころか、私個人に向けられる母性というものも目の当たりにしたことがありませんでしたし、少なくとも、父が昔わたしに対して随分と厳しくしていた時期にはそのように感じていました。
 ところが、わたしが上京をする頃からすこし接し方がやわらかくなったのです。そのことについて後々父に話をふったことがあり、父は「おまえが小さい頃は父親としておまえを育てていたけど、今はもう母性で接する段階に入ったんだよ。だから優しくなったのかもね」とすらすらと答えました。

 質問者様は「自分には母性がないのか」と悩んでいるとのことでしたが、何も母親ばかりが母性を持たなくてもいいのだと思います。父親にも母性と呼べる感情が、いわば本能が備わっているものだとわたしはこの一件を持って実感していますし、周囲の皆で愛せばいい、それが子育てなのではないかと思います。事実わたしは本来必要であっただろう時期に母親という生き物からの母性は与えられていませんが、現在たのしく健康に暮らしているし、父はもちろん、会ったことのない母親のことも好きです。それに今では子供をつくるということに特別な嫌悪感はなく、「好きでも嫌いでもなくかわいいというそれ以上ではない」というところまで進歩することができました。
 母性というのは母親だけが背負わなくてはいけないものではないし、そして本能という絶対的な輪郭を持った脅威にも似たものではなく、もっと漠然とした愛情のようなものだと考えれば、少しでも心が落ち着くのではないでしょうか。

逮捕されないために子どもを産む女の映画『アデリーナ』

はくる 大相談への小さな声 出産
ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品『昨日・今日・明日』

 最後にヴィットリオ・デ・シーカ監督の『昨日・今日・明日』という映画を紹介したいと思います。この映画は三作のオムニバスで、今回見て頂きたいのは一作目の『アデリーナ』というお話です。ナポリの下町で暮らす貧しい夫婦を描いた作品で、未払いの罰金を払えないことによる逮捕を免れようとしているところから話は始まります。そして奥さんは“子供を産んで半年以内・または妊婦だと逮捕はされない”ということを知り、次から次へと子供をつくるのです。
 子供を産むたびに美しくなっていく妻と、反対にやつれていく夫。下町での人間模様と出産がリズミカルなコメディとして描かれています。この映画はおそらく現在あなたが持っている“子供をつくる”というイメージとは全く別のアプローチから作られた作品だと思います。母親になるということや母性について深刻に考えられている今の状況のちょっとした息抜きになるのではないでしょうか。
 これはコメディですが、なんと実話に基づいた映画なのです。そのことを頭に置きながら鑑賞すると、よりいっそう楽しむことができるかもしれません。

つづく

TEXT/はくる

ライタープロフィール

はくる
新宿ゴールデン街で働くインターネット十二年生。根暗ポップ。Twitter:@silonica

今月の特集

AMのこぼれ話