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  • 2016.09.13

感動ポルノは誰が生む?スポーツにもチャリティにも涙を求める私たち

チャリティーを売りにしたテレビ番組が毎夏恒例のように放送されています。今年はそれにオリンピックでのメダル史上最多獲得も重なり、感動することが当たり前で清く美しいような風潮が感じられました。感動は悪くない、チャリティも悪くない、だけどそこに疑問を持ちたい。そう語るのは肉乃小路ニクヨさんです。

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©KaylaKandzorra

 感動ポルノという言葉を最近よく聞きます。
毎年、夏の終わりに某テレビ局で大掛かりなチャリティーイベントがあるので、
皆、そこで自分の中にある愛や正しさを考えるキッカケになっているからだと思います。

 ちなみに私、この大掛かりなチャリティーイベントについて、そんなに悪いイベントだとは思っていません。
偽善的だという意見もありますが、障害者支援を行っている団体に、確実にお金が渡っていますし、結果としてそれで助かっている人や団体がいるのは事実だからです。

 大体ボランティア活動に異常なまでの潔癖を求める意味が私にはわかりません。手弁当ばかりでは長く続きません。
テレビ局が利益を上げて、スポンサーもタレントもイメージアップが出来て、タレントにはギャラも出る。更に莫大な寄付金額が集められるのです。

 つまり、損する人が居ません。
視聴者も感動する人は感動しているでしょうし、仕組みとしては完璧に近い感じです。
だから、40年近くも続いてるのだと思います。
ただ、私はあまり感動したいと思わないので、ここ20年くらいこの番組を見たことがありません。

感動を欲し続ける人々

 この夏はオリンピックの中継や報道も感動を煽るものが多くて、私は食傷気味でした。
まるで感動しないのは非国民というような感動ファシズム。
そう、感動ポルノは障害者の方々だけを対象としたものでは無かったのです。

 もしかしたら、あの五輪選手も、あの野球選手も、あの甲子園球児も、あのサッカー選手も、みんなみんな、感動を求めている人達の感動ポルノスターなのかもしれません。

 みんな心を煽られたり、心を動かされたいのです。
それがエロティックなアプローチならポルノになりますが、それがスポーティーなアプローチなら感動のドキュメンタリーになります。
テレビはタダでそれを提供してくれます(NHK除く)。

 でも私にはとても危ういことのように思えます。
チャリティーイベントや選手そのものが悪いということではなく、
あまりにも安易に感動を求め過ぎてはいないか?
感動に麻痺させられたら何か大きく情報を操作されていても気付かないのではないか?
感動を消費することに満足して洞察や考察をする習慣をなくしていないか?

 少しずつそういうことに気が付いた人が、テレビから離れ始めてもいます。
そして個と個が繋がるネットやSNSに流れていきましたが、ネットやSNSもそれはそれで都合の良い現実だけを選んで見るようになってしまい、偏った思想のネトウヨやネトサヨなどを生んでいます。

本来の情報の意味に立ち返る

 じゃあどうすれば良いのか?
私が言えるのはテレビもラジオも新聞もネットも雑誌も本もバランスよく接触し、自分の知識や経験と照らし合わせて、客観視しながら情報を取捨選択していくしか、方法はないように思います。
イージーカム、イージーゴーで安易に得られる感動はたいして身にならないのです。
自分の人生が本当に豊かになる情報を選別する作業が、結局はリテラシーと呼ばれるものなのかもしれません。

 感動ポルノが成立するのは、安易に感動を求める人が居て、そこに乗っかるスポンサーが居て、大きなお金が動いているからです。
そのビジネスで誰が得をしているのかを考えながら、自分の人生を楽しくする情報を取捨選択していきたい私がいます。

Text/肉乃小路ニクヨ

次回は<売名と寄付の両立はできるのか――わたしがTシャツを売る理由>です。
熊本で起こった震災をきっかけに、寄付の方法を考えた肉乃小路ニクヨさん。ただ持っているお金をそのまま寄付するだけでなく、ニューレディーとしてできることを探す。それが自分にとってもちょうどいい課題であり、自分を調子に乗らせないためにも適した方法でした。

ライタープロフィール

肉乃小路ニクヨ
東京の片隅でひっそり生き続けるちょっぴりしょっぱくてサワーなニューレディー。オーバー40歳、崖っぷち女装

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