オジサンからの搾取に怒っていた頃に出会った、癒し系のオジサン

オジサンに中間搾取されることへの怒り

黒いレザージャケットを着た髭をたくわえた男性の画像 Tookapic

 先週話した、付き合っていた男性が香港に去ってしまった後、しばらくわたしは独り身で過ごすことになりました。が、さして寂しい気持ちがなかったのは、毎週末、仲のいい女友達と男友達が金曜の夜から月曜の朝まで泊まり込んでいたからです。

 その頃、就職したのをきっかけに、「一緒に住んでいると、いつ帰ってくるかわからなくて、心配で眠れないのが嫌」という理由で母親に自宅を追い出されたわたしは、同タイミングで家を出された弟とともに、親戚の持っている都心のマンションで二人暮らししていました。当時の給料は保険なしの手取りで18万程度でしたが、親戚の物件ゆえに家賃も格安で、贅沢は出来ないまでも、酒は飲める程度の生活ではありました。脱ぎ仕事の収入もわずかながらありましたし。

 毎週末、家に泊まりに来る友達は、渋谷にあったフェティッシュバーで知り合った子たちで、ほぼアル中のストリッパーや、自称M男のサラリーマンなど、まず属性を表すときに性的な記号が前に出てくる人々。その子たちとわたしは当時、『ピンクローターズ』という最高にセンスがあるのかないのかわからないユニット名で、新宿のトークライブ居酒屋であるロフトプラスワンや、当時は渋谷で開かれていたフェティッシュなサロン『デパートメントH』などを中心に、イベントを主催して脱いだり、ゲストとして呼ばれて脱いだりといった活動をしていました。

『ピンクローターズ』を作ろうと思ったそもそものきっかけは、SMショーに出演すると時折抱いた違和感でした。つまり、SMショーに呼ばれる際に、どうやら二種類の場合があることに気が付いたのです。

 ひとつは、バーやキャバクラ、劇場といった箱から直接呼ばれる場合。そしてもうひとつは、イベントの主催者(それはだいたいキモい中年の男性でした)のセッティングで呼ばれる場合。前者については何とも思いませんでしたが、後者については非常に面白くありませんでした。体を張っていないそのオジサンに中間搾取されるのは、どうしても気に食わなかったのです。

 もちろん、興行にプロデューサー的存在がいるのは当然のことでもあるし、そこに対してお金が発生するのも当然です。けれども、当時のわたしはどうしても「よく知らないオジサンがわたしの裸で儲ける」ということが、腹立たしくて仕方なかった。
こうして、「自分たちで好きに出来るように」という思いから結成されたのが『ピンクローターズ』というユニットです(これはあくまでもわたしの思惑であって、他のメンバーはそれぞれ別の考えがあったと思います)。