「年下の女とヤれると信じるオッサン」は私に女を自覚させた

“女”になったと思い知った出来事

大泉りか 人妻は不倫の夢を見るか? Alexander Annenkov

ある頃まで、「自分は“女”だ」ということを、改めて考えようとしたことは、ありませんでした。

その理由はきっと「幼い頃から色気づいていたから」だと思います。わたしにとっては、物心がついた時から、自分が“女”であることは、当然のことだったのです。

だから、生理が来た時も、「ようやく来たか」くらいのもので、初体験を済ませた時も「これで晴れて自由の身!(=すでに女であるのに、処女膜が女活動するのをジャマしていたという意識)」という感想こそ持ったものの、「わたし、これで“女”になったんだわ」と しみじみ感じ入ることはありませんでした。

それは、“女”としての理不尽さに激しく晒される機会が少なかったせいもあったかもしれません。いや、もちろん機会は、多々あったのですが、わたしは正論こそが正義と考える少女でした。

だから、痴漢に遭うことがあっても恥ずかしがらずに「ふざけんな」と声を出すことが出来たし、両親の「女のコなんだから、やめなさい」の言葉には、「女のコだから、なんでやめないといけないの?説明して。できない?なんで?差別?差別?差別?」としつこくしつこく食い下がり、辟易とさせることを得意としていました。

しかも、“女”として生きるのは、そう嫌な目にばかり合うことばかりでも、ありませんでした。むしろ都合のいいこともたくさんあった。道を歩いていると向けられる男のコたちの視線は気持ちがよかったし、可愛らしい服やメイク道具を所有するのは楽しかった。重い物を持つことだって「女のコは力がないから」という理由で、なぜだか免除されるし、大嫌いなマラソンだって男子と比べれば距離はぐっと短め。臨海学校の遠泳が嫌すぎて「生理なんで」と嘘をついて休んだこともあります。その時はクラスの半数ほどの女子が生理を理由に遠泳をサボっていましたが、何も言えない教師の姿を見て、「女って楽」とほくそ笑んでいました。

が、高校を卒業し、大学に入ってからのことです。わたしは「“女”になったんだわ」と否応なしに思い知らされることになりました。

18歳になり、ぐっと広がった世界で出会った、わたしに“女”だということを知らしめた生き物――それはオジサンです。