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  • 2015.11.28

売るのは「女」でなく「人間」だ!世間が抱く女流官能作家のイメージに物申す

「女流官能作家」と聞くと、彼女たちは女を使い、男性作家にすり寄っている、というイメージを抱く人も多いのではないでしょうか?しかし、売るのは“女”ではなく“人間”。彼女たちも社会人として当然の行動をしているだけなのです。

女流官能作家とは

大泉りか 官能小説 人妻は不倫の夢を見るか 肉 性欲 リベンジポルノ
PROPedro Ribeiro Simões

 つい先日、花房観音さんの『黄泉醜女』という本を読み終えました。治りかけの疵の瘡蓋を無理矢理に剥がすような、痛気持よさにページをめくる手が止まらず、気が付けば、掻き壊した瘡蓋から流れる血と、そのヒリつく痛みに茫然としながら最後のページを閉じていました。

 あらすじをご説明いたしますね。

 婚活連続殺人事件で死刑判決を受けた「春海さくら」。彼女はその醜いルックスで、世間の注目を浴びた一方で、多くの女たちの興味をも深く引く存在にあった。そんな「さくら」に魅せられたふたりの女、42歳の女流官能作家・桜川詩子と、36歳の美人フリーライター・木戸アミは、事件のノンフィクションを書こうと取材を開始する。
だが、さくらが男たちを殺めた真相を探るべく、さくらに関わった女たちに話を聞いていくうちに、詩子の、アミの、女たちの嫉妬と劣等感とが浮き彫りになっていく――

 女のドロッとしたところって、「見たいけれど、見たくない。でも見たい」っていう欲を熱烈にそそるんですよね。普段は見て見ないようにしている。けれど、被虐的に本心のどこかで見たいとも願っている自分の“劣等感”と“嫉妬”の在り処を探るようでもあり、とても読み応えのある作品でした。

 さて、わたしはおそらくこの本を、“最も楽しんで読める読者のうちのひとり”ではないかと思っています。なんてこと言うと「おこがましい」と作者に鼻で笑われるかもしれませんが、しかし、わたしはこの本の一部をある意味“自分の話”として読みました。
どういうことかというと、主人公のひとりである桜川詩子の職業は、わたしと同じ“女流官能作家”であり、そして著者の花房観音さんも、元は官能小説の賞を獲ってデビューされた“女流官能作家”。そして、この作品の中には、“女流官能作家”と官能業界とを、「内側の立ち位置」から観察した描写および考察が事細かにあったからです。これ、好奇心が刺激されないわけがない。

 さて、このコラムを読んでくださっている方々が、“女流官能作家”というものにどういったイメージをお持ちであるかはわかりませんが、この本の中で記されている“女流官能作家”は、こうです。

 同業者の会合では酌をしてまわり、「水商売をやってたんで」と愛想を振りまくだけではなく「彼氏と上手くいってない」と営業のような電話をかけ、自らのホームページでは露出の多い写真を使い、つねに「エロくていやらしい私」を発信し、男性作家に笑顔でしなだれかかる写真をSNSにアップしたりしている――とあります。確かに、まったくもって、わたしも見たことのある風景です。それどころか“している側”といっても過言ではないでしょう。
作者の方とは(たぶん)宴席をご一緒させていただいたことはありませんが、「どこかから、覗かれていたかな」と思うほどです。

 しかし、これはあくまでも創作であるという前提があって、そして、創作に口を出すのは野暮であるとわかった上で、わたしはどうしても言いたいんです。

「女流官能作家」の世間のイメージに物申す

 実際のところ、同業者の会合って、会社の飲み会のようなもの。で、女流官能作家の多くは、まだ新人もしくは新人に近い立場の者が多く、ゆえに性別は関係なく、先輩方の席を回って酌をしながらご挨拶くらいはする。これって、社会人の常識ではないでしょうか。
最も、気を遣ってくださる諸先輩作家の中には「お酌なんてしなくていいよ」といってくれる方もいて、「水商売やってたんで」に関しては、その人に「慣れてますから気にしないでください」という返しではないかと思うし、さすがに「彼氏と上手くいってない」の電話はわかりませんが、本当にそんな電話を男性の作家にかけている人いるのかな。モデルがいるとしたら気になります(笑)。

 ホームページというかツイッターのアイコンは、わたしはモロに下着姿の画像です。自分の美意識に叶っていて、かつエロい格好を人様に見ていただくのが実際のところ好きなので、自分では非常に気に入っていますが、男性にとってはおっぴろげすぎてエロくないんじゃ……と思ってもいる。さらには、男性作家にしなだれかかっている姿も、たまにSNSにアップしていますが、それは男性で作家だから距離を近くしているわけではなく、女性であっても、そして、作家でなくとも写真を撮る時には、ギュッって近づくことに慣れていて、意識さえもしていなかった。

 そもそも、先輩の男性作家に“女”を売ったところで何もないんです。仕事をくれるのは編集者の方々であって、作家にはそんな権限はない。そして編集者に“女”を売っても、相手にはしてもらえない。売るのは“女”ではなく、どちらかといえば“人間”ではなかろうかと。その“人間”に“女”が含まれてしまうのはデフォルトなので仕方がないかもしれないけれど、そこには出来る限り抗いたい。そのために出来ることは、相手を“男性”ではなく“人間”として意識して接することです。

 と、ひとつひとつ状況を説明していくと、こういう感じなんですが、でもまぁ、見る人が見れば『女流作家は女を使い、男性作家にすり寄っている』という状況に見えるのかもしれません。けれど、わたしに見えていたのは、違った景色です。きっとそれは、景色を見つめる距離と角度の問題なのだと思います。同じ景色であっても、わたしから見えているものとは色合いが少し違うことに、「作者からは“女流官能作家”って、ひょっとして、こう見えてるのか!」と好奇心を刺激されたわけなのですが、この景色、官能業界には限らず、“立場が上の男性と、下の女性が集う場”であれば、どこにでも見られそうです。

 そういう場に身を置いた場合、貴女は、その景色からどんなストーリーを読み取るのでしょうか。

…次回は《結婚したセフレと別れたセフレの決定的な違いは?私たちが夫婦になった話》をお届けします。

Text/大泉りか

ライタープロフィール

大泉りか
キャバ嬢、SMショーのM女、ボディペインティングのモデルなどの経歴を経て、現在は官能小説家、ライトノベル作家。

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