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  • 2013.12.30

「友人の旦那以上」願望は捨てよ! 夫のスペック比較が無意味な理由

 アラサーを迎えた私たちは「女友達の結婚相手」に点数を付ける術を手に入れています。
これまでに参加してきた数々の結婚式において、女友達の旦那さんと対面し、その場で流れる生い立ちムービー・ふたりの出会いムービーを参考資料として、彼のスペックを無意識下でジャッジするのです。
「この人、限りなく100点に近いじゃん」「うーん、微妙。60点くらい?」とか、誠に自分勝手ですけれど。

自分が結婚するまで「各種旦那データ」が脳内に蓄積される

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©by Katsunojiri

 たとえば「大手総合商社勤務」「早慶レベルの大学出身」「元サッカー部」「次男」というような「内面的スペック情報」をムービーから手に入れて、「爽やか系イケメン」「(ぱっと見)身長175cm」「(ぱっと見)細マッチョなカラダ」というような「外見的スペック情報」を実際に目で見て手に入れたとき、私たちは「なんて完璧なオトコ……」と心の底から密かに溜め息をついてしまうはず。

 そんな一級品と出くわすことはそれほど多くはありませんが、アラサー女性は各種夫を見てジャッジしては、そのデータを蓄積し続けるのです。
結婚式に呼ばれる度に、その記録はレベルが高い順にいつでも取り出せる形で収納されます。
自分が結婚するまでずっと。

 ときに
「A子には不釣り合いなほど高スペックな旦那さんじゃん」
「B子ったら学生時代はあんなにイケメンと付き合ってたのに、旦那さんカッコよくないし顔デカい(笑)。妥協したのかな」
「まぁ、この子にはお似合いの相手かも」

などとひとりツッコミをしつつ、情報が集まっていきます。
誰しも単純な感想として、そんな思いを抱いた経験はあるはず。

地味女が高スペック旦那を手に入れた瞬間、女の競争心に火がつく

 次は女友達本人に焦点を合わせてみましょう。
予想外に「自分より早く結婚した女友達」が周囲に一人や二人はいるはずです。
学生時代はどちらかというと地味系で、決してモテるタイプでもなかったのに、20代後半でそこそこ高スペックな男性との結婚を決めた女友達。
この手の女性の結婚式に参加するのが、実は最もリスキーなことなのです。

 事例を挙げると、C子(30歳・婚活中)は大学時代の友人D子(29歳)の結婚式に呼ばれ、D子の夫を初めて見たときに、激しく動揺してしまったと振り返ります。
「まさかD子があんなにいいオトコを捕まえるなんて……。どうやったのよ?」と心がぐらぐらしたのだそう。
それもそのはず。あくまでもC子の主観的な記憶によると、D子は学生時代は恋愛に奥手で、服装もメイクも地味で、男性を寄せ付ける要素はなかったというのです。

 これは危険な傾向だと思いながら、C子にさらなる質問をぶつけてみました。
「D子さんの旦那さんは思いのほか高スペックだったんですね。旦那さんの友達を紹介してもらえばいいんじゃないですか」
若干の意地悪さを含んだ質問の意図を気にすることなく、C子はさらりと答えました。
「もちろん紹介してもらったよ。D子よりもいい人と結婚しなきゃなって思ったし」。

「友人の夫<自分の夫」という図式は捨ててしまおう

 やっぱりそうきますか……。
「ここまで長いこと待ってきたんだから、さっさと結婚したあの子たちよりも、いい夫を捕まえなくちゃ」というのが、C子的な女性の思考です。
ほかの女友達より長い間待ったぶん、人より多くの時間があったわけですから、優良物件を手に入れないと「その間何してたの?」と言われかねないし、しめしがつかないと考えているのです。

「35歳でようやく結婚したと思ったら、旦那さんイケてないね。妥協婚だね」とは思われたくない。
それに学生時代に恋愛経験が人並み、またはそれ以上にあった女として、イケてない旦那さんを手に入れるのは、なんともバランスが悪い。
これらは女の余計なプライドから派生する願望です。

 しかし、友人の夫より優れた夫と出会わなくてはと必死になるのは、一体何と戦っていることを意味するのだろうかと不思議に感じてしまいます。
そもそも戦う相手、戦う目的が意味不明。
いつ自分の夫を友人たちの前に「披露」するというのでしょうか。
大抵の場合、結婚式や結婚パーティくらいしかお披露目の機会はありません。

夫たちを一列に並べて、スペックの比較大会を行うわけではないんです。

 女性同士で「E子の旦那さんって〜」のようなうわさ話は行われるかも知れません。
とはいっても、みんなそれほど暇ではないし、自分たちのことで精一杯。
夫スペックトークなんてほとんど行われないに等しく、強いて言えば夫へのプチ不満・愚痴で盛り上がることのほうが多い。
それなのに結婚式で一度見ただけの友人の夫を超える男性をつかまえようと頑張るのは無意味なことではないかと思うのです。

 相対評価ではなく、絶対評価をおすすめします。
誰かと比較しようとする目を持つのはやめましょう。
自分の内部にあるセンサーが反応した相手であれば、それを信じてみる。
相手を深く知ろうとしてみる。

他の人の目よりも、自分の中に蓄積した選ぶ目の方が、信用できると思いませんか?
誰かや何かと比べようとする限り「高望み状態」を避けて通ることはできません。
さぁ、無意味な高望みとお別れしよう。

Text/池田園子

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ライタープロフィール

池田園子
86年生まれのライター/編集者。女性を勇気づけることが目標。

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