恋愛は「文化」「趣味」と割り切るべき?/湯山玲子&二村ヒトシ対談(2)

第2回:「女らしさ」に引き裂かれて

 上野千鶴子さんとの対談『快楽上等! 3.11以降を生きる』が好調の著述家・湯山玲子さんと、『すべてはモテるためである』『恋とセックスで幸せになる秘密』が話題沸騰中のAV監督・二村ヒトシさん

 4月16日(火)に開催された、「男女のモテと快楽について」をめぐるお2人の白熱したトークショーから、その内容のごく一部を抜粋し、全4回でお届けします。
第1回「すべての女は面倒くさい」もあわせてご覧ください。

女は自分の「女性性」にピンときていない?

二村ヒトシ

二村ヒトシさん(以下、敬称略): 女の人がなぜ面倒くさいかというと「つねに自我が引き裂かれているから」だと思います。
「自分」であることと「女」であることが、あんまりピタッと一致してないんじゃないかと思うんですね。

湯山玲子さん(以下、敬称略): その通り。私も『女装する女』で書いたけど、女のスペックは”女装”感覚ぐらいでいた方がうまく行く。

二村: それは男性社会からの要求であったり、実はお母さんからかけられた呪いであったりするんですが、「女らしくあらねば」ということをすごく内面化させられている。

湯山: そこにはもちろん、結婚しなければとか、子供を産まねばというのを含むよね。

二村: 強制されてそれに反抗しているだけならまだいいんだけど、自分でも「女らしくできない自分」というものの価値を低く見積もってしまっているんですね。そこで自己肯定できずに引き裂かれていく。

湯山: 最近では、その「女らしくできない自分」とその人生を、もうリアルに悩み追い求める事から逃げて、アイドルの世界に昇華していくということをしている。もしくは、こうあらねばっていう自分が常に外にある。
だから勘違いしてがんばって「美魔女」とかになろうとする。

二村: 思想家で武道家の内田樹さんが、レヴィナスという哲学者の説を紹介していたのを読んだんですが、彼は「男の自我というのは【でっぱっているもの】だ」と言うんですね。そして、男の自我は常に砂漠をさまよい太陽に照りつけられて疲れているんだと。その砂漠には【女性】というぽっかりと空いた空虚な穴があって、そこに収まって癒されることによって男性性というのは回復するんだって、むずかしい本なんだけどたぶんそういうことを言ってるんじゃないかと。

湯山: そんなことを言ったら、当然女性は怒り出すよね。「私たちだって砂漠をうろうろして、疲れてるんだよ!」って。だって本来、女の自我だって出っ張っているものなんだから。

二村: そうなんですよ。男にだって空虚な穴はあいているし、女だってそこに収まって癒されたい。でっぱっている自我を持っているのに、男を迎え入れる穴の役ばっかりやらされてきたから、女性は引き裂かれて当たり前なんです。