【完結編】「私はバカにされている!」+「『愛』ってなに」<1>

こんにちは。

まずは告知です。

2013年12月11日(水)発売
an・an「本とマンガとDVDと」24ページ~

「アンアン書店」本日OPEN!~アノ人がおすすめする、必読本全79冊

に、私のおすすめマンガ2冊と熱いコメントが掲載されています。

11日に発売されることを失念しており、告知が遅くなってしまいました。

ここではおすすめ本の書名は書きませぬ。

店頭に置いてあるのはおそらく明日の17日(火)までなので、
気になる方はお早めのチェックをおすすめいたします。

それと、もう店頭にないかもしれませんので、
どうしても気になる方はこちらからどうぞ。

an・an (アン・アン) 2013年 12/18号 [雑誌]/マガジンハウス

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さて、前回まで、
「私はバカにされている!」「この人はわかっていない!」
のように、相手が悪いと思うと何もかもうまくいかないよ、
という内容をずーっと書いてきました。

そして仕事の例についての解説をしました。

※「仕事」「友人関係」「恋愛」についての具体例は以下の記事にあります。

「私はバカにされている」「この人はわかっていない」<3>

こうして書き進めてきたところ、
以前途中まで書いてきたシリーズ、「『愛』ってなに」と
今回のシリーズが、内容的に合流することがわかってきました。

結局、自分が重要だと思っていて、伝えたいのは
同じことなんだなあ、と改めて、しみじみと思います。

そこで、両方を合体させて、壮大に完結させる新シリーズ
この記事からスタートすることにしました。

このシリーズと、「ものさし本」を書き終わるまでは、何があっても死ねないよ~。

では、前回からの続き。

今度は友人関係の具体例についてみていきましょう。

以下、大まかな内容を抜粋します。


「今年で25歳になるあなたは、高校時代からの仲良し6人グループの一人です。」

「しかしあなたには、学生時代から続いている、長年のモヤモヤがありました。

自分はグループの中で軽く見られているのでは、という思いです。」

ということでしたね。

以下は、どんなことからそう感じるのか、の具体例です。

・お店を決めるときに、あなたの意見は通らず、他の子の意見は通る。

・あなたが帰るときには誰も帰らないが、他の子が帰るときには、会がお開きになる。

・6人で歩いていると、あなたが一番後ろで一人になることが多い。

・ある子と2人で電車で並んで座ったら、彼女が本を読みはじめたことがあった。

・他の子の誕生日にはパーティをし、みんなでプレゼントを渡したのに、
あなたの誕生日はメールでの祝福のみだった。

私自身、過去に上記のような経験が多く、特に電車の例は思いっきり実体験です。(笑)

「あなたは、ほとんどいつもプレゼント代を出す一方。
誕生日にかけつけて、祝う一方。

あなたのためにプレゼントが用意された回数は、
6人の中で一番少ないのです。」

そんな積み重ねで、

あなたは不公平さに怒り、プライドが傷つき、ワナワナと震えてきました。

「友達だったら、祝ってくれるものじゃないの!?」

「今度からみんなで積立をしたり、
かならず誕生会を開くとか、開かないとか決めて、平等にしてほしい!」

「私だって、同じ6人グループの一人なのに、悔しい、みじめ・・・!」

「不公平さに傷ついたことや悲しい気持ちをみんなにぶつけようか、
黙ってフェードアウトしようか、
あるいは『私への扱いがひどい。グループから抜けます』と宣言して縁を切るか、

ずっとモンモンと考えてしまうのでした。」

という具体例でした。

ではこの例に、今までみてきたことを当てはめてみましょう。

まず、ここで書かれていることは、すべて「あなたから見た」気持ちです。

では、これを「相手の立場から」考えてみることにしましょう。

前回のブログで書いた、サッカーの長谷部選手のお話と同じですね。

「僕を使わない監督が悪い」

ではなく、

「監督が使いたくなるほどの実力が、今の自分にはない」

のです。

「友達なのに、大事に扱ってくれない人たちが悪い!」ではありません。

今までの自分が、相手に、

「彼女(あなたのこと)が提案したお店にしよっか」

「彼女が帰るなら、私も帰ろうかな」

「彼女の誕生会を開こうよ」

「彼女とは電車でもたくさん話したい」

と思わせるような言動をしていない、

相手にそう思わせる力があなたに足りない、あるいはあなたにない

ということなのです。

誕生日会に関しては、
会を開きやすいとか開きにくいタイミングなどもあると思いますので、
1回や2回で決めつけるのは危険だ、ということを先に申し上げた上で、

誕生日会をいつも開いてもらえる友達には、
思わず誕生日会を企画したくなるような理由があるのかもしれません。

たとえば、彼女はすごく「喜び上手」で、
めちゃくちゃ笑顔で喜んでくれたりして、
「会を開いてよかったー」「プレゼントをあげてよかったー」
と、開く側にとって非常に誕生会の開きがいがあるとか、

いつも頼ったりお世話になっているから、ぜひともお礼をしたい、
と思われているとか、

彼女を中心に開く会は、楽しくて盛り上がる、などですね。

一方、なんとなくスルーされてしまいがちな人、
あまり影響力がない人というのは、

結果的に、そのメンバーにあまり貢献できていない、楽しませていない

ということかもしれません。

こう言うと、

「じゃあ、私が悪いってこと!?」

のように思う方もいらっしゃるようですが、「いい」とか「悪い」ではないのです。

淡々と、事実としてそういうことだというだけです。

私たちがこのように「いい」「悪い」と裁くような発想になりがちなのは、

人には、

「『いい』とか『悪い』ではない」と言われ、
自分で考えたり、判断したり、工夫したり、努力したりしなければならなくなるよりも、
たとえ「自分が悪い」だとしても、答えを決めつけられたほうが安心する

という心理があるのかな、と思います。

しかし、電車の例で言えば、
一緒にいた友達が、誰といようが必ず本を読むような人でないのであれば、

「その人にとっては」、自分は、
二人で電車でいるときに、本を読みたくなるような存在だった

ということ以上でも以下でもありません。

そして、そんな扱いを受けたくない、楽しく会話がしたい、
大事にされたい、などの望みがあるのなら、
相手がそうしたくなるような言動を取る必要がある
ということです。

また、あなたは別に「必ず」「誰にも」
影響を与えていない、貢献していない、楽しませていない、というわけではありません。

あくまで「その人にとって」とか「そのグループの人にとって」という話です。

たとえば、あなたの親戚の子どもたちは、
あなたが帰ると言ったら「じゃあ僕も帰る」と言い、
あなたが「このお店にしよっか」と言ったら「うん、そこがいい!」と言うかもしれません。

あなたが自然にしていても、
影響を与え、貢献し、楽しませることができる人たちが存在する
可能性は大きいのです。

自然にしていても合う、仲が良い、楽しいのが
「相性」
というものではないでしょうか。

(でも、私たちの多くは、自分を受け入れてくれない人にこそ、こだわりますよね・・・。

とはいえ、もちろん、人とつながるための言葉や行動
人の考えや気持ちを想像する力
人を楽しませようとする意志を持つ人のほうが、
多くの人を嬉しい気持ち、楽しい気持ちにすることができるでしょうし、

その逆に、人が自分を楽しませてくれるのが当然と思っていて、
自分の立場からしかものが見られず、わがままを言ったり、
あるいは、言葉が少なく、表情も変わらなくて、
何を考えているのかわからないような人は、
人に影響を与えたり、貢献したり、人を楽しませる回数が減るだろうとは予測できます。

そして、それが、いいでも悪いでもありません。

ただ、「本人にとって」ストレスが多かったり少なかったり、
人生が思い通りになりやすかったり、不本意だったり、
損だったり、得だったり、ということ
なのですね。

「善悪」と「損得」のあたりについては、また触れるかもしれません。

以上、長く書いてしまいましたが、今まで書いてきたことと同じです。

「相手がその反応をしてしまう自分であったのだ」ということ。

そして、「相手も自分も悪いわけではない」ということです。

これは、恋愛でもまったく同じです。

次回に続きます。

前回ご紹介した久條夏貴さんが12月8日(日)に
ある本(あなたのままで、願いをすべてかなえる方法)」の勉強会(参加費無料)を
大阪・梅田で開催されたようです。

また開催されるようですので、関西でご興味のある方はチェックしてみてください。
久條さんのブログはこちらをクリック