「私はバカにされている」「この人はわかっていない」<2>

こんにちは。

「大阪公演」&「CLUBある」がいよいよ一週間以内に迫ってまいりました。

告知2日後のブログで
「お早めにお申込みいただくことをおすすめいたします」
と書いたものの、

今日の時点で「大阪公演」はあと数名、
「CLUB」あるの2月12日(火)分はあと1名の枠がございます。
(テヘペロ☆)

大阪公演のお申込みは、「ある+ANNAのお店」にて
「セミナー」または「セミナー+懇親会」をご購入ください。

ご注文で仮申し込み、ご入金が完了した時点で本申し込みとなります。

内容、場所、料金などの詳細は
命柱セミナー大阪公演を行います!」の記事をお読みください。

どちらも場所は大阪市の中心部です。

・・・じつは、東京公演の音声を確認したところ、
販売できるものではありませんでしたので、
幻のセミナーであることが決定いたしました。

もしも大阪公演での音声もボツになってしまった場合、
音声販売はむずかしくなります。

また、この「命柱セミナー」は今回の大阪公演で終わるつもりですので、
気になる方はこの機会にぜひお越しください。

マンツーマンのプレミアム企画「CLUBある」では、
お申込み者の人生がまるごと伝わってきて、
一人ひとりをとても「かわいとしく」感じます。

現在行なっている「事前プレミアムワーク」の段階で、すでに、
一人、また一人と、お申込み時にいらっしゃった次元から抜け出し、
新たな視点や気づきを手に入れて、スッキリされているようです。

こちらからは、基本的にご質問をしているだけなのですが、
ご本人の中の答えにたどり着いていただけるようにご質問しているつもりです。

こちらもよろしければどうぞ。

お申し込みはご注文専用メールまでご連絡ください。

詳細は「【5名様限定】マンツーマンの「CLUBある」を1日限定オープン」にて。

「CLUBある」は11日ではなく、
2月12日の火曜日、平日の募集
ですので、ご注意ください。

セミナーのみのお申し込みから懇親会へのご変更も承っております。

・・・お知らせが長くなってしまいました。

さて、前回は、波瀾万丈人生を歩んできた変わっている人に

「あなたは未熟な人。

私はあなたの先生だから、何もかも教えてあげる。

もう、安心して」

と言われ、カッチーンと来た、というお話でした。

このとき、私がモーニングページを書きながら気づいたことというのが、
仕事やお金のこと、恋愛などの人間関係のことなど、
人生すべてにおいて、決定的な変革をもたらした
のです。

その内容について、お話ししていきます。

何年も前のことなのでもう覚えておりませんが、
おそらくこのとき、モニペには、

「どうして私はこんなに悔しいのだろう」

「すごく不快だ」

のように書きはじめたと推測いたします。

(ノートを引っ張り出せたら、また確認してみます)

そして、しばらくガリガリ書いているうちに、
ふと、今までにはなかった視点に気づいたのです。

それは、

「彼女は、すべての人を未熟で自分の生徒だと思っているわけではない」

ということです。

・・・ここで、ハッ!!とした方がいらっしゃったら、勘がよいなあと思うのですが、

私にとっては、まずここに気づいたところが、すべての転換点でした。

「彼女は、すべての人を未熟で自分の生徒だと思っているわけではない」

ということに気づいたのは、

「彼女には、自分より上だと思い、尊敬している人もいる」

ということに思いいたったからでした。

彼女のお話には、
「スピリチュアルのメンター」と「ビジネスのメンター」、
彼女が「メンター」と呼ぶ二人がよく出てきました。

メンター【mentor】

優れた指導者。助言者。恩師。顧問。信頼のおける相談相手。

ギリシャ神話で、オデュッセウスがトロイア戦争に出陣するとき、
自分の子供テレマコスを託したすぐれた指導者の名前メントール(Mentor)から。
(大辞泉)

・・・「メンター」という言葉は、
「ビジネスや人生の師」のような意味合いで耳にするようになりましたね。

彼女は、その人たちのことを崇拝しているという感じで、
彼らの言葉のすべてを信じているようでした。

ん?それがなに?どういうこと?

と思われますか?

どういうことかといいますと、

彼女は、自分が尊敬し、崇拝する人と、
未熟だから、私が先生になって教えてあげようと思う人を、分けている
ということです。

つまり、彼女にとって
「自分よりも上の人間」と「自分よりも下の人間」がいる
ということです。

そんなことは当然ですか?

しかし、ここまでの認識だけでも、
もうすでに、どっぷりと浸かっていた「バカにされてくやしい!」の沼からは
半分抜け出しているのです。

彼女にとって
「自分よりも上の人間」と「自分よりも下の人間」がいる
ということは、

彼女に、

「この人はすごい、私より上だ、尊敬します、ついていきます!」

と思わせた、

あるいは、

「この人は未熟だ、私より下だ、全部教えてあげないといけない人だ」

と思わせた原因が、それぞれあるわけです。

当然ですよね?

だって、彼女は自分の周りのたくさんの人々を
「尊敬」と「未熟」、つまり「上」と「下」に分けているのですから。

このとき、私は彼女に「未熟」で「下」だと振り分けられたわけです。

では、彼女が振り分ける基準となったものは、いったいなんだったのでしょうか?

簡単ですか?

わかりませんか?

わかりそうですか?

・・・その答えは、「私の言動」です。

彼女が私に初めて会ってから、何度か長時間お話しした、
合計で約15時間くらいでしょうか、

その約15時間における私の言動だけが、
彼女の判断材料である
わけです。

(ここをお読みになって、
「接した時間が少ないのだから、わかってもらえなくて当然だ、というオチ?」
と思われたのなら、そういうお話ではないのですよー)

ここは大事ですよ!!

なぜなら、

「私は本当はもっとすごいのに!」

「私はそんなにバカじゃないのに!」

という、「『私』目線」から「『彼女』目線」に転換したということだからです。

つまり、

彼女は、彼女が見た約15時間の私しか、知らないわけです。

では、彼女が私を「未熟」で「自分よりも下」だと判断する材料となった
「私の言動」とは、「誰が」行ったり話したりしたことでしょうか・・・?

は・・・?

なにを言っているの・・・?

と思われるかもしれませんね。

そうです、当然、私が行ったり、話したりした、私の言動ですよね。

ということは、

彼女の目からは、その、私の言動が、

つまり、

最初に会ったときの

「この先生のセミナーは初めてですか?私は初めてなんですよ」

「セミナーってよくいらっしゃるのですか?」

「どちらにお住まいですか?え!私も近くに住んでいたんですよ!」

などという私の言葉が

さらに何度かお会いして、

お話を聞きながら発した

「えーー!そんな経験、普通できませんよー!」

「面白いですね、もっと聞かせてください!」

という私の言葉が

「私も自分でビジネスをしたいんです」

という私の話の内容が私の口調が

彼女の目を見つめて笑う、私の表情が

カバンから携帯を出してメールをチェックする私の動作が

黒いワンピースにストッキングという私の服装が

ストレートのロングという私の髪型が

ファンデーションに眉を描いただけという私のメイクが

あるいは言動だけではなく、私の雰囲気が
(彼女が見えるというなら)私の波動が、私のエネルギーが

それらすべてをトータルした、「彼女から見える私のすべて」が。

「彼女からは」「未熟で自分より下の人のそれ」に見えた

ということではないでしょうか?

私が自然に振舞っていた言動は、
彼女から見たら「未熟」に見え、「尊敬」に値するものではなかった。

ただ、それだけの話であるのです。

そして、その逆に、「彼女が見た」、彼女の尊敬するメンターの言動は、

「すごい!尊敬!すべて信じます!」

と彼女に思わせるものだったのです。

つまり、私が彼女に

「私のほうが上で先生なのに。上だということをわかれ」

と思うならば、

彼女が尊敬したくなるような言動を、彼女に見せる必要があるということです。

実際にすごいか、すごくないか、なんてどうでもいいのです。

そんなこと、関係ありません。

私たちが

「わかっていない!」「誤解だ!」

などと怒るのは、
きっと、すごさには「絶対値」という正解があって、
それをわかるべきだ、わからない人は間違っている、
わかってもらえるか、もらえないかだ、
のように勘違いしている
からではないでしょうか。

しかし、
そもそも、すごいとかすごくないなんて、測定できるものでしょうか?

いいえ。
すごいとかすごくないは、そんな絶対値があるものではなくて、

「この人にとってはすごい人である」

「この人にとってはすごくない」

というだけのことなのです。

だから、もしも私が彼女のメンターたちを見たら、

「うっわー、うさんくさ!

見るからに怪しいキモいオッサンじゃん!」

と思うかもしれません。

でも、彼女にとってはその人が「すごい人」に見えたということなのです。

ということは、もしかしたら、
私も怪しい、キモい人になって、
怪しくてキモいとしか思えないことを語ってみたら、
彼女は私に対して見る目が変わって、
「すごい!あなたはメンターです!」と崇拝し始めるかもしれません。

つまり、彼女は私のことを、未熟ですごくないと「誤解している」のではなくて、
私の話す内容、表情、雰囲気は、
普通に全然すごく思わない、というだけのこと
なのです。

どんな「演出」が、彼女の尊敬を引き出すことができるかは
ちょっとわかりませんが、

ただひとつ言えるのは、

もしも彼女から尊敬されたいのなら、
尊敬できる人間である、と彼女に思わせる言動を、
自分がとる必要がある

ということです。

そこまで考えがいたったとき、私は

「いや・・・、あの人に尊敬されるために、
あの人が尊敬するような言動を研究して、
そう振る舞うなどというエネルギーを使いたくないな」

と思いました。

ここで重要なのは、

気づく前、怒っていたときは、

「なんでバカからバカにされてるの?むかつく!なんだよあいつ!」

だった、つまり、

自分の感情を支配するのは、相手の言動だったわけです。

よく言う、「相手に振り回されていた」

ということですね。

それが、

「彼女にバカにされたくないなら、
彼女から見て、バカにされないような言動を取っていけばいいのだ」

と気づいたときに、

「あの人に尊敬されるために、別にそんな時間や労力を割きたくないや・・・」

と思った。

これはつまり、

「バカにされたくないなら、バカにできないような言動をするように努力すればいい、

その努力をする時間や労力がもったいないなら、今のままでいい」

と、主体的な自分の行動として、二択の選択肢が見えた

言い換えると、すべてを主体的な自分の行動としてとらえた、ということです。

そのことで、

「相手が誉めてくれれば嬉しくなり、バカにされればムカつく」

という相手まかせの立場から、

「相手の評価を変えるために努力するかどうか、自分が自分の行動を選択する」

という立場に立てたということが、何もかもをひっくりかえす決定的な発見だったのでした。

「この人はわかっていない」ではありません。

自分が相手に、「すごい」と思わせるような言動をしていない、

というだけなのです。

相手は、自分が見たことをもとに、素直に自分の価値観で判断しているだけなのですから。

そう、私もあなたも、常にそうしているように。

もしも相手の自分に対する判断を変えたいと望むのなら、

相手の判断が変わるように、自分の言動を変える必要があるのです。

これが腑に落ちたとき、むかつきも怒りもなくなり、
一つか二つ次元が上がって、本当にすがすがしい気持ちでした。

世の中で結果を出している人、立派だと思われ、尊敬されている人は、
必ずこのように生きています。

「必ず」です。

なぜなら、

「他人の評価に不満を持ち、評価をした人のせいにする」

ような人は、それこそ未熟な人であり、
多くの人から見て、未熟はバレバレですし、

そして、人が認めざるをえない結果を出し続けることはできないからです。

長くなりましたが、気づいたことの概要は以上です。

今回の部分だけだと、わかりにくくて、むずかしいと思います。

次回は、この発見を、普段の仕事や恋愛、人間関係に当てはめてみていきましょう。

では、あなたのこと、大阪でお待ちしておりますね。ウフフフ~♪