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  • 2016.11.14

愛もいろいろ、結婚もいろいろ。

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人生いろいろ、愛もいろいろ、結婚いろいろ、ちよこし●くら♪

ということで、各地でヴァリエーションが増加しつつある「結婚」の形。それがCivil Union(=市民連帯)という形で表れているのは今更言うことではないけれど、ちょっと書いてみたいなと思いましたので。

今、日本で「結婚」という資格は、人によっては非常にハードルの高いものとなっています。
そのハードルの高さゆえ、手に入れた人は羨ましいし、「手に入れたら私も幸せになれるはず!」もしくは「なれるとみんな言っている!」と考える人が婚活しているのだと思いますが、その非常にハードルの高い結婚の制度は、必ずしも人に幸福をもたらしているとは思えなかったりする今日この頃。

少し前、気になる事件、というかニュースがありました。

2005年に起きた福知山脱線事故で、当時33歳だった男性と10数年交際、同居していた婚約者の方が、遺族として認定されず、仮払いだった補償を打ち切られたという事件です。たとえずっと一緒に暮らしていたとしても、結婚していない限り、遺族として認められず、補償の対象にならないという哀しい話です。そのことによる苦悩と生活苦が重なり、ついに自ら命を絶ってしまいました。

結婚しないには、個人個人それなりの理由があります。環境もあるでしょうし、何らかの問題を抱えている場合もあります。しかし、その高いハードルをたまたま、もしくは強制的に越えることができなかった人が、あっというまに権利からはねつけられ、排除されてしまう。共に暮らしてきたにも関わらず…(きっと「さっさと結婚しておけばよかっただけの話」という人もいるでしょうが、それは「できる」人の意見かと。人は様々に「できない」環境があることは、なんらかの結婚に引っかかりを感じた人なら共感できるはず)。

結婚が決して人を幸せにするわけではありません。幸せの補助として個人を「援助」するのが、そもそも「結婚」という法律のハズです。ならば、状況の違いで、共同生活者でも結婚できないカップルがいるのなら、そこに援助の手を差し伸べるのが、本来の形。ヨーロッパ含め、多くの国が取組んできました。そのほんの一例、特に名の知られたものをご紹介。

シビル・ユニオンとは、その名の通り、「共同して生きていくための連帯契約」で、「結婚」の形にハマらない、もしくはハマりたくないパートナーシップに関して一定の認知と称賛を与えるもの。有名なのは急先鋒フランスで15年くらい前に作られた「パックス法(PACS)」。一定期間以上同じ居住空間で暮らした事実をもとに、結婚と同じような権利・義務を与えるというものです(後述するサムボ法との違いは、性的関係がなくてもいいこと。なので理論上は兄弟や姉妹でも可能)。


★パックスで定められている権利や義務(超ざっくり)
●相続できる(相続税なし)権利
●財産の共有
●養子をもつ権利
●共同納税と税金軽減
●一方の被保険資格を得る権利
●相互扶助の義務

etc.,

ではなぜこういう契約がわざわざそれまでの「結婚」以外で、法整備されたのかという背景には、日本とは全く違う環境と思想があります。

まず、よく知られたことですが、第一に離婚が非情に面倒くさいから。日本は両者の合意さえあれば離婚届に証人の署名をつけて判を押すだけの手続きで済みます。が、フランスでは両者の同意がある協議離婚でも弁護士を立て、裁判所に出る必要があり、協議書を作成し、費用が平均して1500ユーロ程度(あくまで大体なので、それ以上かかる場合もまれではありません)、期間は3-4か月、時には半年以上かかります。

しかもフランスで離婚した友人の話によると「じゃあ、次は●●日に来てください」と一方的に日付けを決められ、「ちょっとまって! その日仕事あるんですけど! 他に選択肢ないの?!」と訴えても無駄だったそうです。何よりも離婚にはそういう実務的な苦労よりも精神的疲労の方が大きい、としたことがない自分でも想像できるのに、その決断から実行までに長々と時間をかけられては…。想像するだけでめんどくさそう…。無精な自分には無理(の前に、そんな相手もいませんがねっ。ケッ)。


そして、思想的背景にあるのは「幸せは個人次第」という考え方。幸せは、パートナーも法律によっても補償されるものではなく、自分で作るしかないという覚悟です。結婚制度が、直接人を幸せにする補償なんてない。結婚は幸せになるための一つの「手段」。個人の幸せを援助するはずのが「結婚」なら、その拘束力によって逆に不幸になってはならないし、個人が自由に使えて当たり前。だったら解消するのも、そもそも使わないのも、もっと自由に選択できる枠組みを作ろうということ。


そして、チャンスに対しての平等の精神です。「自由・平等・友愛」がフランスの国是。世の中にはいろいろな理由で結婚できない人がいる。誰にとっても選択肢は平等であるべき(その証拠に、教育のチャンスの平等により、教育は原則無償です)。「必要な手段」にもとから差がついて、結果最終的な「幸せ」に差がつくようなことは、国の思想に反するということから成立した、と思っています。

ちなみに有名な、結婚していないフランス人セレブカップルだと、マリオン・コティヤール×ギヨーム・カネ、ヴァネッサ・パラディ×ジョニー・デップなどがいます。


そのフランス人の結婚感を歴史的に受け継いでいる、と勝手に自分が考えているのがスウェーデン。なぜなら、現在のスウェーデン王室、ベルナドット家はナポレオンの時代にやってきて居ついて(失礼!)しまったフランス人の祖先だから。なんていう歴史のドラマ!

そんなことはさておいて、スウェーデンでは「サムボ法」が有名です。同棲に対して権利を与える法律で、結婚と違いはあるとはいえ相互扶助とともに、カップルを解消する際に経済的に弱い一方を助ける義務も発生します。


★サムボ法で定められている権利・義務(ざっくりしすぎ。すいません)
●住居家財の財産分与
●解消後の経済的扶助の義務と受ける権利
●相互扶助の義務

etc.,

「事実婚」と訳す人もいますが(自分はこの訳に反対です)、これも共同で生活を営む連帯関係に権利と義務を与えるもの。現在は半数以上の子が、結婚外の関係から生まれていて、結婚関係から生まれる数を上回っているほど。そして、結婚したカップルの実に9割がこのサムボ婚を経て結婚しています。

スウェーデンに留学中の友人に聞くと、「結婚自体の感覚は、日本と変わらないし、システムも大体同じ。違うのは、結婚していようとしていまいと、結婚だろうとサムボだろうと、大して話題にもならないし、何か待遇に差があるわけでもない」。これも、「幸福は個人で作る」の概念が強く表れています。

カップルになったから幸福が訪れるわけではない。タダのツール。「手段なら」、一辺倒の形にして、そこにハマらない人の「幸福」に差が付くのはおかしい、と。


パートナーシップを認知する結婚を含めた法律は、カップルが幸せになる長い道のりに、そこを歩くそれぞれ各人突然落ちていた杖のようなもの。それを使ってより楽に進める人もいれば、杖が邪魔になる人もいる。その杖が助けてくれるのは、カップルではなく、それぞれ個人です(2人で一つの杖を使ったら倒れますしww)。杖が身長180㎝の人だけにぴったりのサイズしか落ちていなければ、150㎝の人が使いたい時にすごく邪魔。歩く個人に合わせて、サイズも形もいろいろあった方がいいじゃないか。そんな声が聞こえてくるようで、すこしだけ嬉しいのです。


結婚に「幸福」はありません。制度ですから。
だとしたら結婚が生み出してくれる「幸福」も実はないのではないか、と。

結局、幸せは自分で作るしかないのです。結婚の助けを借りようと借りまいと。
そう考えて自己肯定…している自分が悲しいですが(-_-;)


そういえば、婚活してる人は「愛」より「結婚」が欲しいのでしょうか? 
その考えもまた、アリだと、妙に最近納得しています。うん。
だって、結婚は権利を手に入れる、最高に難しい「資格」なのですから。
誰だって、頑張ればみんな東大に入ってなおかつその先の就活が必ずうまくいくなら、入っておきたいと思うものですし。たとえその夢が理想と違っても。


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ライタープロフィール

小山圭一
小山圭一

フランスのリヨン大学第2大学にて「女性学」を学んだ後、テレビ制作にディレクターとして関わる。退社後、コンデナストパブリケーションズジャパンにて『VOGUE Nippon(現VOGUE Japan)』の編集者に。2年間、ファッションやライフスタイルページを担当。2008年、フリーエディターとして雑誌編集、及び執筆業をスタート。『marie claire』(アシェット婦人画報社)や『SPUR』(集英社)などに関わり、主に女性芸能人へのインタビューやファッションページなどを手がけている。フランス留学時に学んだ「女性学」結婚やキャリアに関する研究ベースとした、世界各地の恋愛事情に造詣が深い。
facebook:小山圭一