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  • 2016.11.14

地球を救う? 24時間テレビの“愛”

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一昨日からぼーっとテレビをザッピングしていたら(え? ちゃんと仕事してますよっ)4chのボタンを押すたびに毎年恒例の「24時間テレビ」が目に飛び込んできて、
24時間ずーっとこの人たちは働かされ続けているんだなあと、思ったら、こんな風にザッピングできている自分がなんだか怠け者に思えてきて、
ものすごい罪悪感にさいなまれていたりしました。
自分みたいな怠惰な人間にはなんと恐ろしい番組!

しかし、そこでふと別の意味で怖ろしい場面を目にすることになりました。
夏だからってひな壇の後ろに人影がとか、客席に脚のない髪の長い女の人が…てきなものではありません。

「未知との遭遇でドッキリ喰らいやがれ」と題されたコーナー。
大人気アイドルグループ(と説明するまでもない)嵐の大野智さんが、俳優の神保悟志さんにドッキリを仕掛けられるコーナー。
神保さんがゲイという設定で、大野さんにマッサージをする“ドッキリ”。
神保さんは昼ドラで1回、テレビドラマ「相棒」で1回、その他数回、ゲイの役を演じているために起用されたのでしょう(「相棒」の神保さんフィーチャーの回、題して「ピルイーター」は萌えの極致です。必見の価値あり)。

ああ、嫌な予感がする……とヒヤヒヤドキドキしながら食いついてしまったら、やっぱりそうでした。
もう、そこから突っ込んでいいのかわからないくらい、サイテーなものに。

☆「タブー」のはき違え
この演出はいくつもの点で“はき違えて”います。

まず、一つ目は先輩俳優である神保さんが、後輩のアイドルである大野さんを言葉巧みに誘導し、脱がせ、肌を接触させ、「気まずいこと」をさせるという点で、「笑えない」。
「笑い」を作るとして失敗であること。


これは、明らかに「強制わいせつ」「セクシャルハラスメント」に当たります。
前者は刑事、後者は民事ですが、どちらにせよ法に抵触します。

仮に、同じことをしているのが、大野さんが女性、神保さんがヘテロセクシュアルの男性だったとしましょう。
それで、「笑って」いたら、犯罪の黙認だと抗議が殺到すること間違いなし。

性が変わっただけで、中身の質はなんら変わらない。

それをわかった上でコレを「笑い」だと思っているのなら、作り手の想像力のなさとセンスのなさと人格の歪みっぷりに、どこか施設に入所して更正することをお勧めしたいくらいです。

性的いたずら、性的接触、性的おふざけは、本人同士がコンセンサスを取っていない限り、「強要」であり、法律に触れるという概念は、最近になりようやく「男女間」では意識されるようになりましたが、
同性同士では問題にならないと「はき違え」ているのが、時流に乗っていない感じがして、非常に古い感覚です。



そして、二つ目は「同性に欲情する」こと自体を、「笑い」にし、24時間テレビの舞台上に乗っかっていたすべてのタレントたち全員で、それを「嘲笑」するという行為自体が、「笑えない」

このシーンを、性的強要がないものだと仮定し、神保さんが本気で大野さんにアプローチしている場面だと想像しましょう。
さあ、想像してくださ~い、ほうら眠たくなってきたでしょ~、などと催眠効果は得られませんが、教養と知性は手に入りますので、やってみてください。


1人の人間の目の前に、タイプの人間がいて、どうしても仲良くなりたくて、気持ちをわかってもらおうとアピールする。
むしろ、「頑張って!」となるでしょう(あ、もちろん大野さんファンは除き)。

1人の男性が、ある男性が好きでなんとかわかってもらおうとする行為を、笑うことは、その行為自体が嘲笑の対象であると、視聴者に語ることになります。
これを性的少数派の同性愛者のこどもたちが見ていたらどう思うか…。
「あ、やっぱり自分は笑われるような、“おかしな”人間なんだ」と自分を否定させるにも等しい行為。

マジョリティ側の人間が、マイノリティをあざ笑う構図は、「笑えない」し、笑っていたら大問題です。



最後に三つ目、はこれを「未知との遭遇」とした点です。
ああ、同性愛者の世界は「未知」なのね、へぇ。
日テレにだって同性愛者はいるだろうに。いますよね? 日テレさん。

そうやって、マイノリティの恋愛を「未知」として「一般社会に存在しない」かのように語ることは、作り手側、また壇上に登っているタレントたち、またそれを見ている視聴者に「はき違えた」現実を語る行為。
すぐ隣にある世界を見ないことにする。
さあ、イチ報道機関として恥ずかしくないんでしょうか?



☆「24時間テレビ」の再犯
24時間テレビで「性的マイノリティ」に関する嘲笑が事件になったのは、実はこれが初めてではありません。
2009年だったか、はるな愛さんがマラソンランナーになったときも、同じようなことをしてネット上で批判が殺到しました。

その時のパーソナリティが嵐の先輩のTOKIOだったのですが、番組中に彼らのメンバーのうち2人がかつて出演していた「同窓会」というドラマのシーンが流れました(主題歌はミスチルの「CROSS ROAD」で大ヒット。あー懐かしい)。
性を取り扱った衝撃のドラマとして伝説になっているのですが、山口達也さんは妻のいる男性と関係を持つゲイ、国分太一さんは“性同一性障害”の「男性」として登場
で、そのシーンをみんなで振り返り、こともあろうか「気持ちが悪い」と国分さんのシーンを評するパーソナリティーたちをテレビカメラで追っていったのです。
はるな愛さんが髪と顔ふりみだしている傍らで。


へえ、「愛は地球を救う」んですよね。
へえ、コレがあなたたちのいう「愛」ですか~とあきれたのを覚えています。


こういう行為が繰り返されるひとつの原因がBPO(放送倫理・番組向上委員会)が完全に外部組織ではないため、それほど強制力がないし、役員自体が性的少数派差別に関して大した“倫理感”のもと動いてないということ。
役員の多くは放送局の人(もしくはOB)ですから、原子力なんちゃらと似ています。

アメリカの放送倫理委員会では「性差別」は罰金です(アメリカの性全体に関する放送倫理が厳しすぎて、アニメで同性愛関係の臭いが少しでもすると放送禁止になったりするという、これもまた違う意味で差別的なものがありますが)。
フランスでは、性表現に関しては比較的自由ですが、共和制の国なので「少数派」の扱いには厳しく、委員会(正確には「視聴覚高等評議会」)は委員が大統領、もしくは上院議長によって選任され、身分が保証されている権限の強さがあるため、下手すると放送免許が没収なんてことにもなりかねません。

各国のメディア人にこのコーナーを視聴させて、夏の終わりの子どもたちに「は~い、そろそろ宿題片づける時期がきたよ~」とお知らせしてくれる、大変親切な一大エンタテインメント番組の、「愛」が理解できるのか訊いてみたいもの。


今回の“ドッキリ”もそうですが、こういうものを公のしかも深夜でもな時間帯に流す神経の方が“ドッキリ”です。

ガッキーが後ろで、気まずそうな感じで顔をゆがめていたのが救いです。
多分彼女は無意識に「笑わなきゃいけない場面なんだけど、なんだか笑ってはいけないような気がする」と気付いていたのではないかと。


募金に罪はないので、今後も「その分も、チャリティに回したほうがいいんじゃね?」と散々批判され続けている出演者たちに多額のギャランティを払った後で、必要なひとたちにお金を渡す「半チャリティ番組」として末永く続けて行ってほしいと思言います。
どんな方法であれ、お金は役にたつのですから。
が、せいぜいその「愛」が都合のいいものとして暴露されない程度に、見つめ直してはいかがでしょうか?

さもないと、桜吹雪のようにサライの空に番組自体がいずれ散ってしまうような気がします。


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ライタープロフィール

小山圭一
小山圭一

フランスのリヨン大学第2大学にて「女性学」を学んだ後、テレビ制作にディレクターとして関わる。退社後、コンデナストパブリケーションズジャパンにて『VOGUE Nippon(現VOGUE Japan)』の編集者に。2年間、ファッションやライフスタイルページを担当。2008年、フリーエディターとして雑誌編集、及び執筆業をスタート。『marie claire』(アシェット婦人画報社)や『SPUR』(集英社)などに関わり、主に女性芸能人へのインタビューやファッションページなどを手がけている。フランス留学時に学んだ「女性学」結婚やキャリアに関する研究ベースとした、世界各地の恋愛事情に造詣が深い。
facebook:小山圭一