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  • 2016.11.14

認知と愛とチョコレート。

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世界をよくよく眺めてみたら、じつは恋愛・結婚で“こうでなくちゃいけない”なんてなくて、いろいろあっていろいろいい。

おっと、「誰なんだオマエ?」という方にむけて自己紹介をば。

ファッション誌を中心に活動している、しがないエディター/ライターでございます。
セレブリティやアイコンやスターなど女性たちをフィーチャーした記事を書いてご飯を食べています。
今をときめくファッショニスタや、歴史に名を残す女優からデザイナーまで、彼女たちを取り上げてさまざまな“女の一生”を見つめてきました。
女性は男性よりもずっと多くの「選択」をしなければならず、だからこそずっと複雑で、そして魅力的。
一生のうちで何かの形で輝いた女性なら、一層それが際立ちます。
その魅力は「男のクセに(by口汚い女友達)」女性学に夢中になっていた学生の頃から、
「雑誌を通じて女の一生を追いかける」ことを目標にやってきた現在まで、僕にとりついて離れません。

なんでそんなに「女の一生」に執着するようになったかと言えば、
「恋も結婚ももっと自由になっていい!」という切なる願いから。

僕は会社員&専業主婦の典型的な両親。しかも厳格なクリスチャンの教えの下、
首都圏の片田舎で、それはそれは品行方正なひねくれた真ん中っ子として育ちました。

オマエの生い立ちなんてどうでもいいとおっしゃらず、お付き合いを。

そこで小さいころから気になっていたのは、正しく美しい形で結婚している妻たちの、
何か満たされないうつうつとした顔。
そしてある時、ちょっとしたきっかけでその幸せから転げ落ちる女性たちを目撃することも多々あったのです。

ハタから見れば幸せの王道なのに、なんで本人たちは幸せそうじゃないの?
幸せじゃないなら、そんな結婚やめてしまえばいいのに!
ずっと疑問で、こちらまでうつうつしてました。

で、大人になって、いざ自分を振り返ってみたら、あら大変。
「オレ、付き合う人できても手も繋げなければ、結婚もできないじゃん」。

カンの良い方ならお気づきでしょう。まあ、そういうことです。

でもそうなったらそうなったで、できなくても仕方ない。
周りに認められる形に収まったところで幸せじゃなし…と、あきらめたときに「はっ」と気付いたのです。

そうか、あのうつうつとした顔の女性たちは、このあきらめができないのだと。
幸せを求める“形”にハマれば成功だと言われて結婚したのに、
なんだか幸せじゃない、でもいったんハマってしまったら、そこから抜け出して幸せになる方法がわからない。
先生に「やれば合格」と渡された教科書を勉強して、その通りやったらテストで落第。
じゃあ、何を勉強したらいいの?!ってなもんです。

で、14日はバレンタインデー。
何が「で、」なのか、唐突過ぎても無視してください。
話はこじつけが肝心なのです。

昔はこの時期女子たちから代理チョコ製作の発注受けて、売りさばいてたなぁ(遠い目)。
お菓子作り、得意なんです。これも唐突でした。要らないアピールでした。
すいません。

女のコたちはそろって、バレンタインデー+手作り+学校+意中の男子に告白。
これが王道。
つかさ、告白したいなら別の日でいいし、手作りを贈りたいなら自分で作ればいいし、
わざわざ今日、しかもみんなの前で渡す必要なんかないじゃないか!
ああツッコミたい、ああ後頭部に突っ込みたい!と、思っていた思春期。
大人になったら今度は、モテ服+経済力のある彼+自由恋愛+恋愛結婚+素敵な結婚式+妊娠・出産+お受験+立派な会社に勤める子どもに成長。
これが王道。
そこまでスタンダードじゃないとダメなの?!と。


そこで思い出されるのが僕の大好きなゲイリー・マーシャル監督の映画『Valentine's Day』。

アメリカならでは性別、年齢、人種、美醜を超えたカップルのヴァリエーションが見られるのが魅力。
(自分的には妻子持ちの医師パトリック・デンプシーにジェニファー・ガーナ―が見事復讐する話と、アメフトのスター選手、エリック・デインと天下の色男ブラッドリー・クーパーの萌えエピソードがムフフもの)
それぞれ形は違えども、思いあってればいいじゃないかと、なんだか肯定された気分にしてくれるのですが、
それ以上に素敵なセリフが際立つのです。

アシュトン・カッチャー演じる花屋の男性を中心に話は進むのですが、
そこで働くビジネスパートナー(美しくもない平凡なラテン系の男性)が、
車で配達中にゲイのフットボール選手(エリック・デイン)にオカマを掘られて(なんて下品な表現!)しまいます。
エリックは謝りながらも花の配達に大忙しの彼に、「なんでみんな自分の手で渡さないのか」と問います。
そのときの彼の答えがコレ。

「働いている最中に職場でみんなに見られたいのさ。みんな人前で愛を示されないと満足できない」

え? 日本の職場でそんな花とか渡されるなんて、恥ずかしくて信じらんない、と思う人も多いかと。
でも、この「愛を人に見てもらわないと満足できない根性」は、きっと誰にでも心当たりがある(ハズ)。
彼氏ができたら友だちに見せたい、
婚約したら婚約指輪をはめて会社に行きたい、
結婚したら大して仲良くなかった中学の同級生にも式の招待状送りたい、
ついでに滅多に挨拶しなかった親戚に「結婚しました」の写真付きの年賀状を送りたい、
式は挙げられなくてもドレスだけは着て写真に残しておきたい…などなど。

「愛」は「認知」です。

周囲に認識されない「愛」なんて、早々肝が座ってないと耐えられません。
認識されないものは、他人から見えていない=社会で存在していないのと同じ事ですから。

でも、この「認知」というのが曲者で、他人から認識されたときに「うん、いいカップル」と評価されたいと頑張ってしまうと、
世間に「間違っていない」と判断されるかどうかが気になってしまいがちになるのが世の常…。
そう、この「間違ってないか」という判定基準こそこそが、恋愛と結婚をがんじがらめにする“形”なのでは。

花屋のアシュトンはキャリアウーマンの婚約者にフラれ、自分の中で肥大化していた理想像をあきらめた末に、
純粋すぎて騙されやすい親友の存在に気付きます。
頑張って卒業後もカップルでいつづけるために初体験をすまそうとしていた女子高生エマ・ロバーツは、
「無理しなくてもいい」と頑張ることをやめます。
テレフォン・セックスを副業にしているアン・ハサウェイは、取り繕うことやめて
「10万ドルの学資ローンを返済するのに必要なの!」と告白することで、
自分のことを本気で愛してくれる男性を射止めます。

この映画では、そんな“正しい”形の愛を求めて頑張っちゃってた人たちが、
最後には「あ、やっぱり、自分は自分でいいじゃない」と肩の荷を下ろすのです。

さあ、バレンタインデーを幸せに過ごす相手を、すでにご用意でいらっしゃる方々。
周囲に認められるために恋や結婚をしていませんか?
さて、それは本当に“幸せ”なのか、“幸せに見られる”ためじゃないのか、
本当のところをじっくり問い詰めてお悩みあそばすがいいっ!
フハハハハっ ! 
ねたみ入ってます。調子のってすいません。


そうそう、伝説のフランス人女優アルレッティの名言でこんなものが。

“L'amour peut se passer d'estime, pas l'amitié.”
「愛に必要なのは友情よ。評価されることじゃなくてね。」(注:かなり意訳)

本来amitié(友情)とestime(尊敬)は類義語。
でもestimeには「高く評価されること」という意味もあって、それを皮肉った一言だと思っています。

「なんだかイタイ」と後ろ指差され隊だろうがなんだろうが、「私の幸せは私が決める!」そう言える女性はステキです。

ということで、いろんな形の恋愛や結婚を肯定すべく、
これまでの“理想の恋愛・結婚”をちょっと斜めから見た、世界の実情をリポートしていきますです。


あ、長い! 長いブログは読んでもらえないって教わったのに! 
すいません。次からは短くします(+_+)

VDmovie
こんなこと言ってて、ちゃっかりもらった古勝院のガトーショコラは美味しくいただきましたがっ。
http://www.koshoin.jp/

古勝院チョコ



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ライタープロフィール

小山圭一
小山圭一

フランスのリヨン大学第2大学にて「女性学」を学んだ後、テレビ制作にディレクターとして関わる。退社後、コンデナストパブリケーションズジャパンにて『VOGUE Nippon(現VOGUE Japan)』の編集者に。2年間、ファッションやライフスタイルページを担当。2008年、フリーエディターとして雑誌編集、及び執筆業をスタート。『marie claire』(アシェット婦人画報社)や『SPUR』(集英社)などに関わり、主に女性芸能人へのインタビューやファッションページなどを手がけている。フランス留学時に学んだ「女性学」結婚やキャリアに関する研究ベースとした、世界各地の恋愛事情に造詣が深い。
facebook:小山圭一